燻製ニシン アステロイド・テロリスト 冒頭

Ἄνδρα μοι ἔννεπε, Μοῦσα, πολύτροπον, ὃς μάλα πολλὰ
我に語りたまえ詩の女神よ、あまたの苦難をなめしかの男のことを。
                     『オデッセイア』第一歌冒頭


Qui suis-je ?と、アンドレ・ブルトンは問いかける。「私は何者か?」と。その答をもとめているうちに、きみの一生は風のようにすぎてしまうのではないか。
        チャンドラシェーカル・ヴェンカタ・ラーマン・ジュニア

   第一部  アステロイド・テロリスト

               1

夢をみるんだよ。毎晩おんなじ夢なんだ。
ぼくは薄暗いまっすぐな通路のはしに立っている。
通路のドアを背にしてるけれど、ドアは押しても引いても開かない。そんなどんづまりに、ただ脈絡もなく立っているんだ。
そのうち、闇の奥からなにかがせまってくる気配がしてくる。なにかの生き物の荒々しい息づかいがちかづいてくるのだ。どのくらいさきにいるのかわからない。気配だけがヒタヒタとつたわってくる。まだかなりとおくにはちがいないが、その生き物はまちがいなくこちらにむかってくる。息が荒いのは疾駆しているためなのか、野獣だからなのか、それとも、その両方なのか。
そいつは、来る。そいつは、ぼくがこのどんづまりで立ち往生してるのをかぎつけ、ものすごい速さでちかづいて来る。薄闇をすかしてもなにも見えないが、もしも、なにか動く影が見えたら、そのつぎの瞬間に野獣はぼくの喉もとに牙をたて、ぼくは、悲鳴をあげるよりはやく、ほんとに闇そのものにもどるだろう。ふきだす血しぶきも、野獣がぼくの内臓を貪り食う音も、感じるヒマもなく、もはやなにも見えず、聞こえなくなる。そんなふうな結末が予想される。こわいとか、おそろしいとか、死にたくないって感情とはちがう、ただゾッとする感じだ。つまりは、宙ぶらりんの状態で凶悪な何物かに、喰らいつかれるのを待っていなくてはならない不快感だ。絶望的な待ち時間が長ければ長いほどいやなものはない。

               2

そんな夢ばかりつづくものだから、目覚めてもひどく疲れていて、なにより気持ちが落ち着かない。夢の細部というより、夢のなかで感じた恐怖が、ゾワゾワ脊中をはいまわる。仕事だって手につかなくなる。
なんの仕事かって? 数学の研究者だよ。そんなにたいそうなもんじゃないけど、とにかく非線形理論の解析でドクターをとったまんま、適職につけず週三日だけガス・スタンドで働いている。適職というのは、研究をつづけられる環境を維持できる大学のポストのことをさすのだけれどね。普通はね。いや、ぼくの場合はね。
だけどおかしいと思わないか?研究が仕事なら、研究だけすればいいのに、たいていは学生の指導とか何かの講義をもたされる。それはつまり、おまえの研究の成果なんぞあてにしてないよ、せいぜい次々にやってきて、そこそこの知識とスキルを身につけて出ていく連中の手助けをしなさいってことさ。まあ、そこそこの知識ていうのが、世の中じゃいちばん必要とされるからね。
たとえば、太陽系からいちばん近い恒星系まで、いちばん速く、効率的にいける計算式をつくり、なおかつ不確定要素のゆらぎまで想定したプログラミングができるとかね。まあ、いまじゃそのへんの高校生だって、たまに不完全ながらレポートに書いてくる程度のやつさ。
そんな数学が操れれば、あいつはスキルがあるといわれ、たいていの仕事はそつなく、ただし非創造的にだけれど、無難にこなしていけるわけだ。そして、オンとオフをきちんと切り替え、休暇には家族や恋人とケイマン諸島へでもリゾートにでかける。
ことわっておくけど、ケイマン諸島は、単なる例だ。かつて地球上に存在した「命と金の一大ロンダリング場」が、もう事実上存在しないのを知ってのブラックユーモアだな。あの島々は、海底火山の噴火でそっくりのみこまれたんだっけ。あまりに突然のことだったので、一時は大騒ぎになったが、ある政治家だか金融の専門家だかの一言が起こりかけていたパニックを沈静化させた。彼は言った。「諸君、我々はあの島々に実際に金塊を隠していたわけではない」しごくまともな意見だった。データが消えてないかぎり、またどこかの、できたら今度は無人島にでも銀行の住所変更をすればいいだけのことだ。どうせ、取引は仮想空間でしかおこなわれないのだからね。ただ、それを言った本人は、つい自分までひっくるめて「我々・・・」と言ってしまったために、財務調査を受けて手ひどい痛手をこうむった。語るに落ちたというわけだね。
ところで、話がてんでそれちまったことに気がついたかい?
そうだ、有能な一般人の休暇のところからそれたのだ。わざとそらしたんだけどさ。それに非線形理論のレポートのくだりだって、嘘っぱちさ。そこらの高校生に、そんな大層なシミュレーションなんかできるわけがない。せいぜいが、誰かが作ったプログラムをパクって、バグだらけのできそこないのテレビゲームを作れるぐらいじゃないかな。諸君、人類の知性はそれほど進化しちゃいないんだ。百年ほどさきなら別かもしれないけどね。そのうえ、いっとくけど、ケイマン諸島のくだりは妄想だよ。海底火山の噴火か、貧困層の暴動かはわからないけど、いずれはそうなるだろうがね。つまり、あの連中のほうは脳みそも、進化しちゃいないだな。もうそろそろ、仮想マネーゲームで経済を引っ掻き回す連中に鉄槌がくだるころだって予言したまでだよ。おお、ぼくったら、預言者にまでなっちまった。歴史上の大予言者の列に加われるかもしれないな。その資格はありそうだよ。なにしろ、大予言てのは、あたったためしなんかないんだから。

               3

夢をみるんだよ。こんどは、まえの夢とまったく反対の夢なんだ。
それもやっぱりおそろしい夢だ。
ぼくは、真っ暗闇のなかをすさまじい速さで疾走している。足もとに地面はある。ぼくの足は、意思もなにもうけつけぬ機械のように、ぼくを前へ前へと走らせていく。前も後ろも、右も左も、上も下も全く闇につつまれている。なにかにつきあたるか、前方に突然壁が現れて、ぼくをはねかえすか、走っている足もとが崩れてまっさかさまに落ちていくかわからない。予測もつかない。いつか、そのときが来るまでぼくは走らされていくしかない。息がきれたり、いいかげん疲れ果てて倒れてもよさそうなのに、いつまでも全速力で疾走している。心臓が破裂する! それと同時にからだ全体が破裂してしまうまで、ぼくは走らねばならぬのかもしれない。
そのうち、みょうな気持ちがわいてくる。自分は、もはや人間ではない。闇を疾駆する野獣なのような気がしてくるのだ。獣であるならば、この闇に獲物をもとめているにちがいない。獰猛な野獣。血に飢えた獣として、やみくもに夜の闇をおして走っていくのだ。いや、ちがう。飢えとか渇きとかではない、自分はなにかの怒りにかられて疾駆しているのだという思いがわいてくる。なにひとつ見えないのに、走りやめないのは、からだの奥で怒りの炎が点火しているためなのだ。この闇のどんづまりに、ぼくが鋭い牙をつきたててやるべき相手がいる。底知れぬ怒りがわき起こる。何に? 誰にたいして? 怒りは形をとらぬまま、ただ炎として燃えさかるだけだ。なにかわからぬ。ひょっとして、じぶんが自分であることへの怒りなのかもしれない。はげしい怒りにつきうごかされて、漆黒の闇を駆けていく。野獣として生まれたことへの怒り。怒りにたいする怒り。闇を憎み、闇をひきさいてやりたい怒り。おのれが何者かわからないことへの怒りかもわからない。
ひょっとして、ぼくが食らいつこうとしているのは、もうひとり自分のことなのかもしれない。もうひとつの夢の中でおびえて待ち続けているのは、ぼくが引き裂こうとしているもうひとりの自分てわけだ。
つまり、こんな悪夢から身をもぎはなし、ヘトヘトに疲れて目覚めるのだ。もっと、おだやかで、やすらかに眠りたいのに。目をつぶったとたん、まちかまえていたように、ぼくは理不尽な、救いようのない夢の中に投げ出されてしまうのだ。

               4

そろそろまともな話をしないかって、きみは言うだろう。夢とか、妄想の話なんかじゃなくて、リアルな日常の生活と心情とか、ぼくが何者で、なんのためにきみにむけて書いているかが知りたいとか言って。だけど、自己紹介はもうすんだぜ。ぼくは数学の研究者で、失業中で、適職につくあてもなく、日々、悪夢と妄想になやまされて暮らしている。つまり生活不適格者。人類の恥ずべき落ちこぼれ。ゴミ。バグ。悪性腫瘍。悪性腫瘍からにじみだす膿。厄介者。自虐的だね。ずいぶんひどいことを並べたもんだが、あいつらは、あいつらの基準から大きくはずれる者をそう呼んでるんじゃないのかなあ。できたら、きれいさっぱり消えてくれって思いながら、この目障りな奴(ぼくのことだよ)を、害虫をみるような眼で遠くから観察しているんだ。まあ、殺虫剤をもって襲ってこないだけましだけど、あいつらにそんな勇気はないのさ。誰かがやってくれたらいいと思うだけだ。そして、その害虫が、なにか軽微な犯罪を犯すのをまっているふしもある。そうしたら、合法的に害虫駆除にのりだせるからね。他人のコンピューターへ不正アクセスするとか、銀行のシステムにもぐりこんで、彼らがたっぷり秘匿している埋蔵金をごっそりぬきとってやるとかね。だけど、あいつらも、もうそろそろそんな数字に意味がないってことに気がつけばいいのに。金、金、金。そんなもの記号にすぎないんだよ。何千億という数字がよってたかったって、雨のひとしずくや、一本の緑の木ほどの価値はないんだ。どうだい? すこしはまともな話だってできるんだよ。これも非現実的だときみは言うかもしれないけれどね。
 だけど、世の中で圧倒的にこのマネーという数字を溜め込んでいる富裕層の連中に聞いてみたいことはあるね。それも、彼らの死の直前にインタビューしてみたいんだ。あんたは、どれほど幸福だったとおもうかとね。あんたに残された時間はあと、数分だけれど、もしできるのなら、幸せだった瞬間のことをひとつだけ教えてくれないかって。どんな答えが返ってくるかは、わからないけれど、旨いものをたらふく食べたとか、美女とおもいきり情事を楽しんだとか、投資した金が何千倍にもなってディスプレイ上に表示された瞬間だとか。それとも、子どものとき、公園で捨て犬をひろったときとか、あるいは同じ公園の落ち葉に埋もれていた五十セント銀貨をみつけたときかもしれないね。そういう瞬間なら、ぼくにもあるよ。地下鉄から吹き上げてくる風に乗って一ドル札がぼくのズボンの裾にからんできたことがあったんだ。ぼくがようやく長ズボンをはきはじめた頃のことだ。ぼくはぼくの長ズボンに感謝したね。もしも、短パンだったら、その一ドル札は、ソックスをちょっとからかって、あっというまにすりぬけていったろうから。
その一ドルは、ぼくがこれまでに拾った最高額、最高の不正所得だったわけだけど、それでも幸せだと思ったのはほんの一瞬で、幼いぼくは、その一ドル札がだんだん重荷に感じられてきたよ。だから、一時間後には、その一ドル札は、地下鉄の構内に座り込んでいたホームレスの空き缶のなかに投げ込んじまった。
 でもさ、ここまでのエピソードを読んできて、きみはぼくのことをアメリカ人だと思ったかもしれないね。ドル札と地下鉄とホームレスとくれば、たいていはそう思うよね。でも、貨幣単位とか状況は、いつでも、いかようにも置き換え可能なんだぜ。ドルじゃなくて、ポンドでも、フランでも、昔懐かしいドイツマルクでもかまいはしない。地下鉄とホームレスなら、たいていの都市には存在するわけだし、もしも、ここでぼくがドルの代わりにルピーと言ったら、デリーの可能性もあるわけだ。デリーに地下鉄はあったかな。とにかく、仮の話だけどね。事実は、ぼくが小額の札を拾ったってだけさ。

註1デリーでは今地下鉄の建設中。一九九八年着工、二○二一年完成予定。全長二四四・八六キロメートルのうち、六二・一六一キロメートルが開通している。

        

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?