風呂につかりながら本を読む。ここ数年来のならいになってしまった。もともと鴉の行水みたようで、長風呂がすきではなかったのだが、加齢のせいか冬に体が冷えて思わぬ関節痛とか肩の痛みがでるようになった。さすれば、長湯につかって体をあたためようと思い、本を読んでいればしばらくはつかっていられるはずと思いついた。たいていは文庫本の古書で、一度や二度は湯船のなかに落としてページがふやけてしまったものもある。ところが、これがまた本の著者にはすまないが、読んでいるうちに、ふとした一節から、活字をはなれ思わぬ空想や連想にふけってしまうことも多い。であるから、一冊読了するにもひと月はかかるというもの。近ごろは、泉鏡花の『歌行灯』や『眉かくしの霊』『夜叉が池』などをくりかえして読むことにしている。これは好物で、なんど読みかえしても味があるし、読んでいて心地よい。
で、話は読書のことではない。ふと、湯船のなかで、ある占いのことを思いだしたのである。因縁・因果・幽霊・物の怪・怪異との言葉が湯気にむされて酔わせたのでもあるまいが。
銀座に前世占い師がいて、その方面では有名なかたがいるという話を聞いた。
以前、錬金術や占いの歴史などを一般向けに書いて、東京書籍から『魔法世界への旅』なる著書にしたこともあるくらいで、ディレッタントではあるが興味はつきない性質である。どのように前世を占ってくれるというのかというと、名前と生年月日だけでよいという。当時懇意にしていた女性占い師が、後学のためにみてもらいにいくという。占いには本人でなくとも出生年月日がわかればやってくれるというのだ。見料は1件3000円。それならば、ためしにどんな結果をだしてくれるのかお願いしてみた。占い師は確か女性だという。
さて、数日後、私の前世を占ってくれた結果を知らせてもらった。
「天沼さんは、まず、『この方は絵や写真にたいへん関心が深いようですね』といわれました。画家の友人も多いのでは、と」
たしかに、物書きではあるが、画家さんとの仕事も多いし、その関係で知りあっておつきあいのある方たちは、自分でも異様に多いなと思うことがある。
まず、彼らとはよく気があうのだ。
「この方(私のこと)、中世イタリアの画家だったかたです。ですが、大成するまえに若くして暗殺されていますね。きわめて反抗的な性格で、領主に睨まれ、27歳のときに殺されています。」
反抗的性格というのはどうかわからないが、子どもの頃から、教師をはじめ権威をかさにして威張るてあいは大嫌いで、また偉そうな連中や、先輩であっても、それがときどき態度にでていたらしく、とかく敬遠されているのを感じていた。それは、まちがいない。かならずしも前世の自分の性格とはかぎらないが、ふむふむとは思ったものだ。いまだに、世の中は権威とか他人がつけたレッテルや箔に思わず知らずひれふして、みずからの判断で行動したり物を言ったりしない人ばかりだなあと呆れている。
それにしても、ルネサンス期のイタリアの画家だったなんて記憶はこれっぽつちもないなあ。でも、生意気で反抗したので暗殺されたのかよ。
この話を親しい友人にすると、そんなに反抗的には見えませんが、抑制しているのですかね、といわれてしまう。ちがうのです、あなたは「いい人」だから
わたしが批判的な眼で見たり、態度をみせたりしないだけなんですよ。そういってやりたいけれど、まあ、いわないほうがいいやね。
ところで、実際に銀座にでむいて、ご自身の前世を占ってもらったその人はなんて言われたか?
「あら、あたくし? 前世はカエルだっていわれました」
と、彼女は平然としていた。「か、かえる?」
「ええーっ」輪廻転生。万物流転。それにしても、イタリアの画家とカエルというのはなあ・・・・
わたしがそれをいうと、彼女はさらに、「カエルのまえは、アメリカ・インデアンだったそうです」と、教えてくれた。
そういうものですか。
「はい、知人のなかには、前世は≪石≫だっていわれたひともいます」
それって、占い師世界ではふつーのことなのでしょうか?勉強になりました。
まあ、前世・後世があるとは信じたいけれど、その占いのことを聞いて以来、
出会う人の前世はなんだったのだろうと想像してみるようになりましたね。
あの「恐山(おそれざん)」のイタコさんも、前世はともかく、死者のたましいを呼び出してくれるそうだけど、なにごとも信じれば善なるかな。
と、まあ、こんなふうに、風呂につかりながら考えました。でも、なんでこの前世占いのことを思いだしたのかな。そう、最近、個展の案内がたくさん届いているのに、体がしんどくて出かけられないなあと、肩をさすっているうちに、画家→前世は・・・と思いだしたのでした。おかげて、よく温まりました。
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