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カンボジアの記憶2

古いことなので記憶違いが混じっているかもしれない。後で帰国後に買った地球の歩き方を探してみよう。あれから3・4度引越しを経験しているが捨てていないはずだ。

プノンペンのホテルに入り、街を散策した。
フランスの統治下にあったと聴いたこの町はパンがおいしいという話で、友人はサンドイッチというかフランスパン風のパンにはさんだホットドック風の物を屋台で買って食べていた。腹の弱い私は、生野菜は、良くないだろってことで、到着初日は火の通っていないものは食べないようにしていたような気がする。「一口食べなよ」と友人が言ってくれたが食えなかった。ただ、皆が平気で食べるので不思議と大丈夫なような気がしてきていた。
正直、プノンペンでは何をどう食べたかよく覚えていない。AngerBeerを飲んだことだけはよく覚えてる。すごく冷えてるって感じでもないのに、すごく美味かった記憶がある。最近でもたまにインポートビールの中に混じっていると目に留まるビールだ。

初日で強烈なインパクトが残っているのは、せっかくの初めての町なので、いろいろ散策しようといって歩き回り、本当にのどかというか、何もない、日本とは相当ちがう雰囲気を楽しみながらたくさんあるいたと思う。そんな中でポルポト派が統治していた頃の博物館のような所にいった時だった。壁一面に頭蓋骨でカンボジアをかたどったオブジェがあった。「本当に死臭がした」気がした、霊感が強いわけではないが、この国についてすぐに感じた怖さというか、違和感の元がここにあったような気がした。あまりの衝撃でこのあたりから初日の散策の記憶が残っていないような気がする。ここで気持ちも体力もすっかり疲れ切っていたように思う。

そもそも海外旅行なんて、アメリカ西海岸に2度、ハワイ・サイパンに1度づつくらいしか行ったこともなく、こんなすごい経験というか自分の無知を感じることができる旅になるとは思っていなかったし、想像を遥に超えていたと思う。
そう、本当に胆略的に出た旅だった。
この度も、初めてのタイ、そしてホテルの予約もないタイを経験して、タイで1日過ごしてから移動してきたので、少しは大丈夫かと思っていたが、想像をはるかに超えるインパクトだった。

プノンペンからシュムリアップに行くのにボートで行けるという情報をもっており、翌日のボートのチケットを買った。小さな船だが、乗れる数しか席は売らないから安心していいといわれて買ったことを記憶している。
そう、「乗れる数」の意味がわかっておらずに買ったのだ。

夕食を食べる時、ホテルの外に出ると、カブのような原チャリにのった兄ちゃんたちが大量に待っていた。各々から写真を見せられ何ドルかで紹介できるとといっていたと思う。いくらかは覚えてみいないが明らかに売春の斡旋だ。中にはとても信じられないような年齢と思われる写真もあった。現実とは恐ろしいものだと思いながら引く手を振り払った。ハワイでも金髪のねーちゃんから日本語で「1万円」だの「上は大きくて、下はきついヨ」などといわれて手を引っ張られたことがあったけど、笑いながら断っていたけど、そんなの比にならないくらいダークな感じだった。あんなのついて行ったらきっとおれの人生そこで終わっていたような気がする。振り払った後は、セントラルマーケットと言われるところにいった。そこでいろいろと見学しながら歩いた。夕食も何件か回りながら何かを食べたのだと思うがまったく記憶に残っていない。
ホテルは2人づつに別れて寝たが、風の音やら、いろいろと物音がしてびくびくしていた。まぁ、結局ぐっすり寝たのではあるが。

こんな書き方をするとまるで悪いように思われるかもしれないが、疲れながらもそこそこ楽しんでいたと思う。帰国したときはもう一度あの町に行きたいとすら思っていた。
翌日はボートで移動となるが、翌日以降はもっと疲れることになった。

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