1月17日を思う

1月17日をおもう。
2024年1月は新年早々、能登半島での大きな地震で驚かされた。
多くの震災の影響で、ご苦労されている皆さんには一刻も早く元の生活に戻れることを切に願うばかりだ。
自身だけでは、なかなか何も出来ないため、献血を協力し、自己満足の支援をしてきた。

1995年は新年早々飛行機で羽田から関空経由でドイツのコンスタンツという街に行っていた。仕事である。
関西のチームの人達がメインで行く中、関東からは私と上司の2名が参加。
ど新人が海外での仕事ということで周りからは羨ましがられたことを覚えている。
まぁ、決して素晴らしい出張ではなかった。
ここで大災害の日を迎えたため日本の実際の混乱は正直言ってわかっていないのかもしれない。

コンスタンツはWW2の時も灯りをわざと照らし続けて連合軍からの空爆を避けたと現地の方からお聞きするくらいスイスと近接した街で、過去と現在が入り混じり、何よりも美しい街だった。
ただ、1月は真冬ということもあり天気は毎日悪く、物寂しい雰囲気であった。
ボーデン湖という湖も近くにあり、周辺にも企業はある程度あるようだった。仕事で行ったものの、先方の準備が整っておらず、毎日先輩や年越しを現地で過ごした方達と飲み会をして過ごした思い出しかない。

あれ…本当に仕事が思い出せん。

アパートメントホテルという一泊2千円程度でキッチンのついた部屋で、若造だった私は一階のロビー、受付の横にある部屋に入ることになった。

ロビーの声も聴こえるような部屋で、なによりも広い部屋だったこともあり、飲み会の声も漏れていたのか仕事から帰ってきた人が寄り、溜まり場になっていた。
入った翌日に泥棒が入って受付から現金や我々が使ったT/Cが盗まれ、ヒアリングをうけたこともあった。
もちろん飲んで爆睡してたから何も知らない。美人のホテルの担当の方からは使えない日本人だと思われたに違いない。

そんな飲み会が終わり、仕事にゆく翌朝に、支度をしながらテレビを観ていた。
流石にドイツ語の番組は意味が分からず、唯一わかる気になれた、CNNを観ていた。
まぁ、英語もあまりよく理解できなかったが、ドイツ語よりは少しはましといったところだ。

テレビに映し出される壊れた街。
高速道路らしきものが倒れた街がテレビに映し出された。
正直、テレビから流れる「Kobe,japan」という言葉を聞いても信じられなかった。
これが日本?神戸?嘘だろ…そんな思いしかない。

高速道路が倒れているんだから、現実とはにわかには信じ難いものだった。

その直後くらいだろうか、ロビーが騒がしくなる。このアパートのようなホテルのほとんどをうちの出張者が占めており、ロビーはごった返していた。
ほとんどの人が、同じCNNを観ていたのだと思う。
そして、関西出身者で多くを占めていたため、不安の声が飛び交っていた。
国際電話をかけても繋がらず、会社に連絡してもテレビの情報以外ほとんどなかった。
急ぎ帰国の準備をする人達も多かったが、関空への便は駄目で、成田に行っても新幹線で大阪方面に向かうことも駄目という状況だったと聞いた。

わたしを含め関西に家族のいない組が、残って仕事をする組になったため、皆さんを送り出した。

2週間くらい後に帰国となったが、関西空港経由のチケットは成田経由に変え帰国することとなった。
それほど当時の関西方面は大変な状況だったのだと聞いた。

当時、神戸に住んでいた方からも何人かお話を聞いたことがある。
隣に寝ていた家族が飛び乗ってきたのでびっくりするとそれははね上げられたことによるものだったとか、夜勤明けで風呂に入っていた人は、はね上げられ、風呂の天井に頭をぶつけたなどとても信じられない状況だったらしい。

ドイツでご一緒していた方々は復興のため、会社を退職しご実家に帰られる方も多かった。

あれから多くの時間が過ぎたが、5年から10年に一度は日本のどこかで大きな地震が起きている。あの時の苦労や悲しみを忘れないようにしたい。

そして、地震はいつ来るかわからない。常に災害の準備はしておきたいと思う。

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