【25日目】アメリカと日本の教育の違い
こんにちは~
今日は給食で「なし」が出ました。
梨は給食で出てほしくない果物ランキング上位に入るくらい、出てきてほしくないです。梨自体は好きですが、梨が出てきたときに食べる方法をいつも迷ってしまいます。
ティッシュがないため、梨を食べれば手が汚れます。かといってお皿を口に近づけて犬のように食べることも非常識です。持っているのはお箸だけです。
そして、今回は結局ご飯を食べる前に梨を食べました。箸で。
汁ものだったので、汁で汚れた箸で梨を食べるか、梨汁がついた箸で汁を飲むかを考えた結果、後者のほうを選びました。
味は大丈夫でしたが、いつも迷ってしまうので、できれば梨を出さないでほしいです。
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ということで、これまでにアメリカと日本の教育の違いについて特徴のある強化ごとに紹介してきて、気づいたことを書きたいと思います。
日本の教育では、基本的に解法を教えたり、ひたすら練習する連続的、そして暗記的な教育が多いです。例を出すなら歴史や数学。歴史では年代、人物、場所等を暗記することが多いです。そして数学では、先生が解法を教えてひたすらそれを練習することが一般的です。
しかし、アメリカでは教育方法がかなり違います。はじめに歴史では、人物、年代、場所等を意図的に覚えようとすることはめったにありません。実際にアメリカで歴史の授業を受けていて、何年に何が起こったとか暗記しようとしたことはありませんでした。代わりに、アメリカの歴史の授業では調べ学習やグループでの交流が多いです。実際に調べたり聞いたりして、それを紙やパソコンにアウトプットするといったものです。これらの教育は、出来事そのものではなく、時代の流れの把握やその時代の世界情勢等、学習を深めることを大切とします。
また数学では、計算をあまりしません。アメリカでは、数学の解法を脳に入力したり紙に出力することは日本に比べれば圧倒的に少ないです。アメリカの数学では、数学的問題(例は昨日の記事に記載)を文章で説明する能力が問われることになります。
ここで問題になることは、アメリカでは計算力を持っていない人が多くなってしまうことです。数学では、いくら文章で説明できても、数字で説明できなければ数学らしさが失われます。アメリカでは、掛け算の暗算ができない人が多いです。「10×8は?」と聞いて筆算をしだす人はそこら中にいます。アメリカではあまり計算練習をしないのが一番の理由でしょう。
結論として、日本の得意とする暗記的、連続的教育に加え、アメリカの理解を深める教育の両者が教育に必要なのだと思います。日本で暗記だけして根本的なことを考えないテストと、計算ができないアメリカにいる人々に疑問を感じた私一個人の感想です。
最近日本の学校の歴史の授業では調べ学習があります。こういったものが日本で広がることに加え、アメリカでは日本が得意とする教育が広がってほしいです。