ゴルフ発祥の地で知り得たこと ~HARADA GOLF ハラダシュウヘイの武者修行!スコットランドゴルフ弾丸旅行記~
「無謀な旅の始まり」
私は言葉の通じない未知の地に単身旅にでる度胸はありません。
そこで、兄を道連れに二人で旅をすることになりました。
私はまったく英語がわかりませんが、兄は少し聞き取れる程の英語力です。
この二人で旅行代理店を通さず
単独であのキングズイングリッシュの国に挑もうとしているのです。
旅のルートはロンドンに降り立ち2泊して、
そこからターンベリーへ向けて
600キロのドライブ。
ターンベリー・エイルサコースでプレーをして
その日のうちにエジンバラに向かいそこで1泊、
次の日にセントアンドルーズでプレーをして、
プレー後にその足で南のリバプールまで一気にドライブ
(ここも6時間のドライブ)です。
そしてこのリバプールにも
ロイヤルリバプールというゴルフ場があるので、
(アマチュアのトーナメントとして世界で最も古い
全英アマチュア選手権はこのコースから始まった)
なんと!!
飛び込みでプレーできればと考えていました。
そしてプレー終了後にロンドンへ向かい2泊し、帰国という予定です。
4泊イングランド、そして3泊スコットランドというイギリス縦断ゴルフの旅
です!!
ホテルとレンタカーは日本でインターネットを利用して予約しました。
ちなみに、2009年のインターネット事情は、
まだガラケーでiモードを使っている時代。
ワンセグチューナー付き携帯電話で
テレビが見られることを喜んでいるような時代でした。
iPhoneがその少し前に初めて発売されていましたが、
まだまだ持っている人は少数でした。
兄はiPhoneを持っていましたが、ネットも遅く使い勝手が無く
ガラケーとの二台持ちでした。
当然インターネットでの予約も情報収集も色々苦労したものです・・・。
もちろんYouTubeも見たことありませんでした。
まさか将来YouTubeでレッスン動画を配信することになるは・・・
この10年での通信環境の発達は本当に素晴らしいものです。
そして情報が少なかったとはいえ、
我ながら大変無謀な計画を立てたものだと今となっては思うのです。
「空港からロンドンへ、そして迷走」
イギリスヒースロー空港に降り立ち、
まずレンタカーを借りるため
米国系のハーツ(hertz)というレンタカー会社にお世話になりました。
しかしカーナビの使い方で苦戦を強いられ
1時間くらい格闘したものの結局諦めて、
カーナビなしで自分たちの勘と紙の地図を頼りに
ロンドンまで車を走らせる決心をしました。
出だしからのつまずきと後の運転に不安顔の私を見て
同行した兄は、兄としての責任感がでたのか
「運転は俺がする!!」
となんとも頼もしい言葉が返ってきました。
私は助手席で頼りないナビゲーションという役回りです。
しかしそのドライブは絶望的に無謀といえるものでした。
まず一つ目の洗礼は「ラウンダバウト」 (Roundabout)
というロータリー式の交差点です。
スピーディー&スムーズな車の流れを目のあたりにして怯み、
後ろからはどんどん車が来る!
もはや事故覚悟でこの交差点に突っ込んでいくしかありませんでした。
そして流れるままに高速道路に放り出される形となり、
ここでまた洗礼が待っていたのです。
平気で後ろから車が煽ってきます。
紳士の国とは名ばかりで後ろからのプレッシャーは相当です。
周りの車の速いことといったら、
何かレースでもやっているかのようでした。
実際モータースポーツの盛んな国柄も関係しているからでしょうか。
さらにイギリスでは高速道路が無料で、
いつの間にか速道路を走っていたり
いつの間にか幹線道路になっていたりします。
そんな中私はあろうことか
「ここからロンドンまでどのくらい?」
と必死に運転している兄に聞いてしまい、
「ここはもう口ンドンだ!!」
とキレ気味に言われたのは今でも覚えています。
私達がロンドンをカーナビなしで走る事30分。
兄にロイヤルパークという場所を地図で調べてくれと言われました。
しかし、もはや空は真っ暗でよく見えません。
携帯のライトで照らしながら調べてみると、
なんと全て英語で記されているではありませんか!!
兄は現地の英語の地図を日本で購入して用意していていたのです。
でも私はそれではまったく読めません。
お手上げです。
兄はもはやこの愚弟には頼れないと悟ったのか無言になり、
ひたすら何かにとりつかれたように運転し続けました。
私は
地図も読めない!
運転もしたくない!
道路標識も英語でわからない!
の三重苦となり、もはやムードメーカーに徹するしかないと気がつき、
暗く淀んだ車内で
明るく前向きな話必死にして
助手席から兄を励まし続けていました。
そうしているうちに、
今日泊まるホテルが遠くから見えてきたではありませんか!
しかし見えるだけでここからが大変。
迷路のようなロンドンの道で
ホテルは見えども道が複雑で到達できません。
Uターンしようとしても禁止になっていたり、
右折禁止や左折禁止があったり・・・
もはや交通ルールを破り、警察に捕まるのを覚悟で
無理やり右折や左折をしなければ
たどり着けないのではと思うくらいです。
そんな状況の中、兄は必死に運転をして
ホテルにやっとの思いで到着することができました。
このとき時刻は既に22時半になっており、
ヒースロー空港に着いたのが15時なので
同じロンドン市内で
なんと
7時間半もかかってしまいました・・・
ちなみに
予定では、空港からロンドンまでは1時間くらいの予定でした・・・
ホテルでの夕食はスーツケースで持ってきた
非常食用のカップラーメンとホテルで買ったビールで済ませ、
疲労困憊な私達は早々に休むことにしました。
しかし、ベッドの中で明日からの事、
そして何より
「これからほんとうにスコットランドでゴルフをすることが出来るのか」と
不安で眠れませんでした。
「道のりは厳しく」
翌日はロンドンで観光をして、
その次の日は600キロのターンベリーまでの旅が始まります。
しかしまた一抹の不安が私の頭をよぎりました。
それは昨夜のニュースの内容です。
スコットランド北部で大洪水になったと大々的に報道しており、
色々な道が封鎖しているとか
軍隊の救助の内容が映像で流れているのです。
私は明日無事ターンベリーに着くことができるのか、
またしても眠れない夜になってしまいました。
次の日は、私と兄で協力して運転する事になり、
ロンドン→バーミンガム→マンチェスターを抜け、
スコットランド に入りターンベリーまで一気に走破する、という計画です。
「さあ!行くぞ」と覚悟を決め、私はイギリス初の運転です。
途中とてつもないスコールのような雨が降り、
細心の注意をはらい走っていました。
最初は恐る恐る運転していましたが徐々に慣れていき、
周りの車と同じスピードで走っているうちに、
日本だと間違いなく速度違反で捕まるであろうスピードになっていました。
イギリスでの高速道路の速度制限は約112キロですが、
周りはもっと速く走っています。
そのドライブはなかなか快調で、いよいよイングランドから境界を越え
スコットランドにはいりました。
そうしてスコットランドの田舎道を走っていると日が落ちて
18時には真っ暗です。
この暗闇でのドライブ中、私は1つ忘れていた事を思い出しました。
前の晩のニュースで見た洪水です。
道が封鎖されていたり、迂回しなければならなかったり、
このまま宿泊先に到着できないと
車内に泊まる羽目になるのではないかといった不安が頭をよぎるのです。
私はゴルフではポジティブ人間と自負していましたが、
イギリス旅行では完全にネガティブ人間になっていたのです。
その頃辺りは嵐のような天候で大雨が降っていました。
真っ暗の田舎道をターンベリーに向けて車を走らせていると、
大雨ともの凄い風が吹いている悪天の中、
やはり洪水のためターンベリーへの道が封鎖されていました。
でもここまで来たらもはや進むしかありません。
違う道を突き進み、
カーナビ(何とか日本語設定にすることに成功しました)を信じて
走り続け、そしてついにターンベリーに到着することができたのです。
さあここからが本番!
看板を探し、ゴルフ場とホテルを探さなければなりません。
日本のゴルフ場のように経路を示すわかりやすい看板を期待していた自分が
馬鹿に思えてなりませんでした。
当然「△m先の信号右折あと〇km」の様な看板など見当たりません。
車を止めては走らせ、走らせては車を止めて探しては見るものの、
そもそも真っ暗闇で何も見えないのです。
しかし、そうこうしているうちにやがて大きな看板が見えました。
「ターンベリーホテル&ゴルフ」という看板です!!
それに従い私達が向かった先にそびえ立つのは
煌々とライトアップされた目的地であるターンベリーホテルでした。
チェックインをして、あの有名なタータンチェックのスカート(ハイラン
ド・ドレスという民族衣装)を着たホテルの方に
荷物を部屋まで運んでもらい、
まだ食事を済ませていなかった私達はホテルのレストランで食事をし、
明朝8時10分にプレーする予約をすることができました。
ついに明日ターンベリー・エイルサコースでのプレーが実現するのです。
この旅の最大の目標ともいえるゴルフを明日プレーする期待感で
またもや眠れなかったことは言うまでもありません。
(このままだと寝不足ですね)
「ターンベリーの歴史」
ここで軽くターンベリー・エイルサコースの歴史を書いておきましょう。
このコースは1903年に開場し
9番ホールと10番ホールの近くにある灯台が有名です。
そして去年(2009年)の全英オープンのコースとしても有名ですが
開催の歴史は浅く、初回の開催は1977年でした。
歴代優勝者を見ると、そうそうたる顔ぶれです。
1977年はトム・ワトソン
(トム・ ワトソンとジャック・ニクラウスの死闘で有名)、
1987年はグレッグ・ノーマン(メジャー初優勝)、
1994年はニック・プライス、
そして去年2009年は、スチュワート・シンクが
トム・ワトソンとプレーオフの末優勝をしたのは記憶に新しいところです。
1860年から始まっている全英オープンが
このようなすばらしいコースにおいて
1977年まで開催されなかったのには理由があります。
それは2度の大戦で
イギリス航空隊の訓練飛行場として改造された歴史があるからなのです。
第一次大戦後にはジェームス・ブレイドが、
そして第二次大戦後にはマッケンジー・ロスが修復し、
イギリス屈指のチャンピオンコースに造りあげました。
特に第二次大戦後は手の施しようがないほど荒れ果てていたそうです。
マッケンジー・ロスはこのターンベリーで
子供のころキャディーをしており、コースの全てのレイアウトを
覚えていた事から白羽の矢が立ったそうです。
そして彼は2番ホールの小高い丘の上に、
ここから飛び立って戻る事が出来なかった若者の為に
記念碑を立てました。そこにはこう書かれています。
「祖国の名誉を守る為、諸君はターンベリーのコースから飛び立ち、
この2番ホールに戻るはずだった。我々は君たちの勇気を忘れない」と。
わたしたちは明日このコースをラウンドするのです。
「夢のターンベリー」
さあ、夢のターンベリー・エイルサコースのプレーです。
朝は昨夜からのとんでもない嵐で、誰もラウンドしていません。
我々しかプレイヤーがいなかったと記憶しています。
希望ではキャディーを雇ってプレーしたかったのですが、
どうせ英語も通じないし、話す勇気もなかったので、
担いでプレーする決心をしました。
カートにゴルフクラブを積んで運転しながらのゴルフが増えている昨今、
歩いてバックを担ぐゴルフはどのようなものでしょうか。
イギリスとアメリカのゴルフを語るときに
ゴルフカートの導入について言われることがあります。
アメリカは合理主義の国です。
カートでプレーすれば早いし楽だと言う事です。
しかしイギリスはカートでゴルフをすることに大反対したそうです。
確かに、
自らの足で大地を歩き、
自らの肩にバックを担いでプレーする姿が
このリンクスでは本当に絵になります。
私もこのリンクスのコースに降り立ち歩いてみてそう思いました。
なんせバンカーは崖のような断崖絶壁!!
運転を誤りカートでバンカーに落ちたらひとたまりもありません。
そして、ヤーデージーブックを片手に
キャディーバックを担ぎながらのゴルフは
ジュニア時代を思い出す新鮮なものでした。
さて、コースのコンディションは猛烈な風は南から北へ吹き、
さらに叩きつけるような雨です。
ラフはうねるように生えていて絡み付くような芝です。
そしてバンカーはスコットランドのリンクスコース特有の
ポットバンカーで、入ったら出すだけで納得しなければならない深さです。
待ちに待った一番ホールのティショットです。
ウォームアップも せずに、いきなり私はドライバーで打ちましたが、
この旅行中にイメージトレーニングだけはしていたので
アゲンストの中でもフェアウェイに打つことが出来ました。
しかしセカンドショットで早くもリンクスの風の洗礼を受けます。
123ヤードのアゲンストで5wを短く持ち、
打ち抜いたボールは若干スライススピンがかかり
そのまま右の深いラフの中に入りました。
私は一応暫定球を一打ちましたが、またもやスライスがかかり
またラフの中!!しかも2球とも届いていないのではありませんか。
123ヤードを5wで届かないとは!
結局5Iで刻む事にしてもう1球打ち、
グリーンの狙えるベストポジションに落としたのです。
はじめに打ったボールを捜しましたが深いラフで見つかりません。
ロストボールです。
結局このホールは9も叩いて
創造以上のヘビーなコースに武者震いが止まりませんでした。
(ただ寒かっただけかもしれませんが)
「聞きしに勝る暴風」
ターンベリーの情報は一応ラウンド前に少し入手して挑みました。
コース左側の海には
エイルサ・グレイグ島という無人島がそびえ立っているのですが、
この島の見え方で風の向きが変わると言うことや、
この島のほうに芝目が向いていると言うことです。
この情報を利用できるかと考えていましたが、
恥ずかしながらあまりの風と雨でそんなどころではありません。
そして私達はラウンドしていて気になっていたことがありました。
それは時折グリーンの旗が見えなくなり、
どこに向けて打つのか戸惑う事があったことです。
近くに行ってみると、
なんと旗がカップの穴から抜けて倒れているではありませんか。
初めは前のプレイヤーが挿し忘れたと思っていました。
しかし私たち以外ラウンドしている人は見当たりません。
前のプレイヤーが旗を挿し忘れたとは考えにくく、
要するに暴風で旗が倒れているのです!
スコットランドのゴルフ場の旗は
全般的に日本の旗より短く(おそらく風の影響を考えて)
それでも暴風で今にもへし折れそうにしなっています。
そんな中、色々ありましたが1番のトラブルだけで、
あとはわりとスムーズにラウンドする事ができました。
そして、 アウトの最後のホールである
9番ホールのティインググラウンドにやってきました。
子供の時に見た
グレッグ・ノーマンが
灯台の見えるこの9番ホールでティーショットをしている写真は
とても印象に残っていて、楽しみにしていた場所です。
この海越えのティーショットはフォローの風に乗りよく飛びました。
さあいよいよインコースに入ります。
インコースは一方通行ではなく
色々な方向へ入り組んだコースレイアウトです。
その為風の読みが大事になっていきます。
そして12番ホールまで差し掛かると、雨がやんで風だけになり、
その風が物凄い勢いになっていきました。
グリーンに向かって歩いていると右手に英国空軍記念碑が見え、
左手には旧飛行場滑走路跡地が見えてきました。
このエイルサコースはターンベリーの奇跡といって、
フランク・ホールとマッケンジー・ロスにより
チャンピオンコースへ復活を遂げた逸話は先述していますが、
この旧飛行場滑走路跡地を見た時、
かつて夏坂建氏の本で読んだ一文を思い出しました。
そこにはイギリスのゴルフ評論家ヘンリーロングハーストの本に
こう書かれてあるとされていました。
「砂丘を滑走路にするなど造作もない事。
しかし、滑走路を壊して精巧なアンジュレーションの
名コースに蘇らせるとなると、これは人知を超えた奇跡の作業だ。
ところが、ターンベリーではその奇跡が起きたのである」と。
「感動の達成感」
どんどん強くなっている風の中、
スイングが乱れ気味になっている自分がいました。
いつもの自分の仕事は
やれ!力を入れるな!スイングが早い!
などの口うるさいレッスンです。(過去の話です。今は違いますよ)
それなのに、この嵐の中では
レッスンプロとしてのノウハウが破たんをきたし、
自問自答しているうちにスイングリズムが早くなっていることに
やっと気がついたのです。
いつものリズムより、それよりゆっくりスイングすると
風の下を通り抜けるようなショットが戻り、
これからの強風でのゴルフのスキルアップにつながると思いました。
いよいよ18番ホールも 最後のショットとなり、
この過酷なゴルフも残りわずか。
最後のショットをしてグリーンに向いホールアウトしたあと、
兄と握手をした時は何ともいえない達成感がありました。
ゴルフはスコットランドで育み、
イングランドに広がり、
その後アメリカに伝わると言う経路 があります。
アメリカのゴルフとスコットランドのゴルフには
違いがあると考えられています。
アメリカのゴルフは、計算されたヤーデージを
機械化されたスイングで寸分狂わず打って行き、
いかに少ないスコアでラウンドするかを競い合うスポーツ。
しかしスコットラ ンドのゴルフは違い、
暴風の中、ヤーデージもへったくれもありません。
あるのは肌で感じた感覚を信じ打ち抜く勇気。
そこにあるのは騎士道精神による1対1の勝負。
そう、この国ではマッチプレーが主流なのです。
そして「プレーファスト」。
いちいちスコアをつけずプレーが早いのです。
スイングの形にこだわっている人はあまりいないようで、
ラウンドを楽しんでいます。
私自身ゴルフレッスンを生業としていますが、
このイギリスでのゴルフで
言いようのない大きな何かを感じ取りつつプレーを終えました。
さて、わたしのとりとめもないお話をここまで読んでいただき
誠にありがとうございます。
このあとの旅を短く説明すると、
結局この時期のイギリスは日照時間が8時間しかなく、
しかも移動時間が多すぎて、
セントアンドルーズでのプレーを諦めざるを得ず、
その後その足でリバプールに行くものの6~7時間もかかり、
朝早くリバプール近郊のゴルフ場でラウンドする気力・体力がなく
断念してしまいました。
やはりスケジュールがタイトすぎたということです。
ただセントアンドルーズには足を運び、
英国ゴルフ博物館を見学し、
7番ホール横のジガーインというバーも見ることが出来ました。
車の運転が控えており、お酒を飲む事が出来ず、
とはいえ中に入って見学だけするという勇気もなく、
外で写真をとっただけという寂しいものでした。
次にきた時にはここでビールを飲むと誓いました。
この JIGGER INNという名のジガーとは、 液量を計る単位で、
1ジガーは45mlになり、ゴルフクラブのジガーは
ロフト角が4Iと5Iの間だったことから名づけられたそうです。
セントアンドルーズにはオールドコースの他に
ニューコースやジュビリーコースなど他に4つもあります。
最も日本と違うのは、クラブハウスがいくつも点在しているという事です。
私が見たR&A (貴族、上流階級)の他、
セントアンドルーズゴルフクラブ(職人、労働者)、
ニュー・ゴルフクラブ(労働者)、
セント・ルール・クラブ(女性) と
階級などで分けられたクラブがあり、コース自体はパブリックで
リンクス管理委員会という組織が管理しているというシステムです。
我々日本人はメンバーでなくてもプレーは出来ますが、
クラブハウスに入ることが出来ないと言う仕組みは、
いかにもイギリスの階級社会を象徴しているようで面白いものでした。
私自身英語が何もわからず、この旅を敢行してしまった事を
若干後悔していますが、また次へつながったと考えてもいます。
私ははじめに、ゴルフの精神を勉強する為にこのスコットランドの地に
参ると書きました。その結果、片鱗が少し見えかけたと思っています。
そう!やはり私の知っているゴルフは
「ゴルフ」であり「GOLF」ではなかったのです。
次回またイギリスに行くときは、もう少し計画性のある旅にして
本当の「GOLF」を楽しみたいと考えています。
お付き合いありがとうございました。
「エピローグ ~あれから10年~」
私がこの旅行を敢行したのは2009年の11月でした。
当時から札幌のゴルフスクールのレッスンプロとしてアマチュアの方に
レッスンをしていましたが、この頃の私は今後の自分の在り方に悩んでおり
ました。
高校卒業後にゴルフレッスン界に入り、自分なりに切磋琢磨してきた自負は
ありました。
多くの諸先輩や生徒さんに恵まれ、その後結婚し、
好きなことを仕事にした幸せと苦労を噛みしめながらも
充実した毎日を過ごしていました。
しかし、2008年夏に長男がうまれ、家族が増えた時に、
もっと自分に大きな力をつけたいと感じるようになりました。
レッスンに明け暮れ、
トーナメントに出場する資格も取得する機会がないまま、
ここまで来てしまった自分にできることは何なのか・・・。
外国に行くのは新婚旅行でのハワイ以来。
11月と言えばシーズンオフに入りたての閑散期でお財布も寂しい時期。
ひとりで行く勇気はなく、家族で行くには難しい状態。
三歳年上の兄が同行してくれなければ実現しなかったであろう旅でした。
以前から漠然と頭の片隅にあった「ゴルフの祖国イギリス」への憧れ。
細かいことは考えず、勇気を出して出発しました。
旅は人を成長させるといいます。
確かに大変な旅でした。
しかし、あの旅が無ければ今の私もいないでしょう。
その後の私は相変わらず暗中模索の日々でした。
しかし、スコットランドでのラウンドの経験は
少しばかり私に自信を与えてくれました。
あるがまま目の前のことに真剣に取り組み
自らできることを精一杯行うということ
その繰り返しでここまで歩んできました。
そして、これからもそのように歩んでいくでしょう。
あの旅から10年後、
2019年の夏に再度イギリスに行くことができました。
今度は妻と二人の子供と一緒です。
今回の旅はラウンドは叶いませんでしたし、
相変わらずの節約旅行でしたが、
2020年全英ゴルフ2020年は(2020年は中止、2021年に変更)
開催予定コースであるロイヤルセントジョージズに
赴くことができました。
中に入ることはできませんでしたが、そこにいるだけで胸が高鳴りました。
今は感染症の影響で海外に出ることはおろか、
心おきなくゴルフをすることが難しい状況ですが、
将来、今度こそはまた彼の地でゴルフをしたいと目論んでいます。
そのために、また日々精進していく所存です。
ゴルフとは何と素晴らしいものかと、改めて感じている日々です。
おわり
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