あさパラ!
キー局や準キー局の選考が全て落ちたため、
最終的に選んだのは関西の番組制作会社やった。
東京勤務の採用試験やのに、「関西のほうが君に向いているよ」と、
人事の方に言われるがままに、
アシスタントディレクター(AD)として、
大阪に初上陸したのは2012年の春やった。
関西のテレビ局に外国籍ADが全然おらんかった時代やったからなのか
本名もあだ名っぽいからなのか、
同期の中でもわり早い段階で、
テレビ局の社員さんやタレントさんに名前覚えてもらい、
仕事が思ったよりも早いペースで自分に舞い込んでいた。
プライベートはほぼゼロ。
休みも月一あるかないかぐらい。
テレビ業界はブラックって聞いてたけど、
若いうちは耐えられると思ったけど、
雑務があまりにも多くて、
毎月の残業時間が200時間越えで、
新卒やのに残業代込みで年収500万台乗ってた。
お金稼いでも嬉しくないっていう現象が本当に世の中に実在するやなって
気づいた頃にはすでにADをやめてた。
ADデビューした「あさパラ!」で出会った岡崎先輩が教えてくれた言葉、
「雑談しながら、手を動かして、仕事を進めていく」。
今でも鮮明に覚えている。
ダウンタウンさんの同期のハイヒールさんを動かしながら、
スポンサーのやりたいことも成し遂げていくのには
きっと、先輩の雑談力が武器やったんだろうなーって。
そして、この雑談力こそ、
今後の自分のキャリアに多く響いた「魔法の言葉」やった。
写真は2012年9月29日の放送終わりに撮った一枚。
今現在、あさパラ!見ている読者はおるのやろうか・・