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のび太くん、タイムマシンでロックンロールをさぐりに行こうよ!


高橋幸宏氏が亡くなったという報は私も少なからずショックでした。ちょうど「ビハインド・ザ・マスク」という楽曲を連日分析していたところでしたし。この曲、彼が太鼓を叩いていました。作曲は坂本龍一。アメリカ公演ではこの曲が圧倒的に観客を沸かせました。「ロックンロールだ~!」と白人黒人みな熱狂で、タカハシもサカモトも、バンドリーダーのホソノもびっくり。帰国後、坂本はインタビューで「どこがどうロックンロールなのか、曲を分析したがわからなかった。とにかくあの国の大衆には、何かあうんの呼吸でわかる感覚らしい」と総括。「いくつかの波がぴたっと合った瞬間に生じるノリが、彼等にはあるようだ」

以下はどなたかによるカヴァー。原曲の感じがよく出ています。

アメリカでのみ大うけしたという、この曲の分析を私なりに今も続けています。どうやら謎は解けたようです。後日機会があったらこのブログで語ることもあると思います。その前にロックンロールという音楽を生み出した、20世紀アメリカの文化的土壌について、私なりに整理してみたくなりました。簡単に言ってしまうと、白人たちの歌や曲を、黒人(というか黒人奴隷あがり)たちが自分たちの感性で消化して歌いだしたものを、白人たちが半ばからかいで真似るうちに音楽の一ジャンルになっていって、それに黒人たちが刺激されて独自の音楽を生み出し、それを白人たちが消化したものを黒人たちが消化したものを白人たちが消化したものを黒人たちが[以下リフレイン]形になっていったのがロックンロール、すなわち白人と黒人がいっしょにビートにのれるしのることがいっとき許される音楽空間であった、と今は教科書的に語っておきます。本腰を入れて語りだすと本が一冊書けてしまうぐらい大変そうです。

幸い「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年)という格好の研究対象があります。そうですあの映画です。ロックンロール史としてもよくできていると公開当時から評価の高い、あれです。主人公マーティ・マクフライはロックンロール大好きのギター少年。ひょんなことで1955年の自分の街に迷いこんで、いろいろドタバタの末に、自分の未来のパパとママとなる高校生カップルとその学友たちのために、体育館のステージにあがってギターを奏でで場を盛り上げる。ユニバーサル映画が公式動画として現在そのシーケンスをウェブに公開しているので、以下ご覧ください。

ここはとある高校の体育館。ロサンゼルス郊外とおぼしい高級住宅街にあるようです。生徒たちはみんな白人です。教師たちもね。しかしダンスパーティでは黒人ミュージシャンたちがステージにあがっています。右の男性は利き手を怪我してしまってギターを弾けないというので、マーティ君が急遽登板。男性はマイクの前に立ってヴォーカルに徹する。

♪ Earth Angel, Earth Angel ♪ 
(おお地上の天使~) 

劇中では前年(1954年)にこの歌がシングルレコードで発売されていて、ちょうどこの1955年に全米規模で大ヒットしていました。いわゆる「ドゥーワップ」音楽です。歌のあいまに「ドゥーワッ」とか「シュビドゥワッ」とか挿んでくるアレです。詳しいことはウィキペディアの解説をどうぞ。この「Earth Angel」を作って歌っていたのがこの四人組。The Penguins。日本の漫才コンビに同じ名前の方がいらっしゃいますがいうまでもなく別ものです。ディズニーのアニメとも違います。南カリフォルニアのある高校に在籍中にドゥーワップ音楽のグループを彼らは結成。翌年にデビュー作としてシングルレコードを出す機会に恵まれ、さらにその翌年つまり1955年に全米規模で大ヒット。それがこの「Earth Angel」でした。これ以降は同規模のヒット作を出せずに終わったのですが、その話は別に機会に譲ります。


映画でのパーティで、ステージで演奏している黒人たちは彼等とは違うミュージシャンたちですが、この頃一番のはやり歌それもとってもムーディな曲を、白人高校生の男女のために奏でているわけです。黒人音楽なのだから黒人ミュージシャンに来てもらって演奏してもらったほうがムードが出ると。そこにどういうわけか白人の男の子マーティが混じって、ギターを弾いて演奏をもたせてしまうのだから笑っちゃう。時代考証的には不自然なのだけど、タイムマシンで時をかける少年ですし、こういう場違いな場に立っても映画観客にすれば笑いに昇華される。


さてここからが本題です。未来のパパとママがしっかり恋人どうしとなったのをステージより見届けてほっとしたところに、この黒人ミュージシャンたちから「お前ギター上手いし。せっかくだからもう一曲何か弾いてくれ」とご機嫌顔でうながされる。客席からも。

そして弾き始めるのが例のあれです。

♪ 大谷ゴ~

 

カメラの動きをよーく見てみてください。

少しずつ左にカメラが移動していくと、黒人ミュージシャンがフレーム・イン。

カットがこの後切り替わって、

ノリノリのパパとママ、そして学友たち。

白人と黒人のあいだに引かれた一線を、マーティは音楽の力でいっとき消しさったのです。

彼のファミリーネームは「マクフライ」(MacFly)。アイルランド系の名前です。アメリカでは長く下級人種扱いでした。ひとことで白人といっても実際はいろいろです。アイルランドからの移民たちは、後からやってきた奴らということもあってニューヨーク市ではスラム街の住人イメージが強く、その子孫たちも、少なくとも劇中の1955年の頃には白人社会のなかでも下層とされていました。マーティの未来のパパとなる男の子が、ジャイアンみたいな同級生の男の子から「このアイリッシュの虫けら」(You Irish bug!)と嘲られたり、その様にいきつけのお店の黒人店員から「しっかりしろよジョージ、いつまであいつらのいいなりになっているんだ、俺はいつかなり上がるつもりなんだぞ」と共感とも同情とも励ましともつかないことを言われる場面が映画の前半にありました。ジョージの未来の息子マーティに、そういう人種的引け目があるのかどうかはわかりませんが、1955年における高校主催パーティで黒人と白人の境目に、アイルランド系の彼が立って、大谷ゴ~♪ を熱唱する姿は、いろいろ示唆的です。

この大谷ゴ~こと「Johnny B. Goode」は 1958年に世に出る歌です。マーティは3年フライングで演奏しています。いわゆるロックンロールの一大到達点といっていい曲です。白人と黒人が、同じビートにのって踊ることが許される、そういう音楽としてロックンロールは進化し、やがて分岐していきます。白人向けとして「ロック」に分岐、黒人向けとして「リズム&ブルース」に回収されていくのです。マーティがロックンロール大好き少年として育ったのは、本人はおそらくいちいち意識していなかったとしてもアイルランド系白人ゆえの肩身の狭さと、白と黒のあいだ的ポジションである自分のアイデンティティ確立のもがきが、おのずとロックンロールへの傾斜となったものとみます。少なくともこの映画のストーリーを練り上げた監督さんと脚本家さんコンビは、そのつもりでこの映画を作り上げたのでしょう。パーティでのカット割りやカメラの動きを分析すると、そこにはっきりとこの狙いが浮かび上がってくるのです。

演奏シーンはこちら。

ロックンロールの底力を体感した彼が、途中から暴走していくのがいい味です。時をかけていくのですよ演奏法が。終わりの方はヴァン・ヘイレンのアレでしょうか。もはやロックンロールを逸脱して80年代ハードロック。「君らはにはちょっとばかり早すぎたかな、君らの子どもにはわかるよ」("I guess you guys aren't ready for that yet. But your kids are gonna love it.")と名セリフ。想像ですが彼はこの後、例の博士の大奮闘のおかげで 1985年に戻ってきます。もしミュージシャンの道を歩むとしたら、ハードロック路線ではなくロックンロールを選ぶ気がしますね。なにしろ映画のエンディング歌もヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのロックンロール曲なのだから。

公式配信のものがあったのでリンクしておきますね。




[追記] ♪ 大谷ゴ~をうろ覚えで(鍵盤楽器で)弾いてみたら、パワーコード3つで弾けちゃうのですね、びっくり!





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