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翻訳おかしくない? ガルシア・マルケス「百年の孤独」

先日、とある方面よりガルシア・マルケス「百年の孤独」の邦訳について、とある者よりご質問をたまわりました。

どういう方面かというと、伏せておきます。今年(2024年)新潮文庫に入ってより、売れまくっているとかなんとか。

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通しで読んだことはないです。例によってウィキペディアに目を通して、それでわかった顔をして済ませてしまうような、あるあるいんてりです。


Muchos años después, frente al pelotón de fusilamiento, el coronel Aureliano Buendía había de recordar aquella tarde remota en que su padre lo llevó a conocer el hielo. Macondo era entonces una aldea de veinte casas de barro y cañabrava construidas a la orilla de un río de aguas diáfanas que se precipitaban por un lecho de piedras pulidas, blancas y enormes como huevos prehistóricos. El mundo era tan reciente, que muchas cosas carecían de nombre, y para mencionarlas había que señalarlas con el dedo.

これが冒頭です。訳してみますね。


おとなになってから後、銃殺刑を執行されるにあたって、アウレリャーノ・ブエンディア大佐の最期に脳裏をよぎったのは、幼い頃、父親に連れられて氷というものを生まれて初めて目にした、あの遠い日の午後のことだった。当時のマコンド村には二十軒ほどの粗末な泥と藁でできた家があるぐらいで、村のそばを流れる清流の川床は、まるで恐竜の卵が白くぎっしりと並んでいるかのような丸石の群れであった。世界のすべては生まれたてで、名前すらついていないものもあって、いちいち指ささないと伝わらない風だった。


一方、今度の新潮文庫版はどうか。


長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレルャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。マコンドも当時は、先史時代のけものの卵のようにすべすべした、白くて大きな石がごろごろしている瀬を、澄んだ水が勢いよく落ちていく川のほとりに、葦と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。ようやく開けそめた新天地なので名前のないものが山ほどあって、話をするときは、いちいち指ささなければならなかった。


はあ?な日本語でございます。スペイン語の時制わかってへんといわざるをえない冒頭文にくわえ、いろいろいいたくなってしまいましたので、いろいろいうのに代わって、私が訳してみたのが先ほどのものであります。

再度お見せしますね。文庫版のものと、どうか読み比べてやってください。


おとなになってから後、銃殺刑を執行されるにあたって、アウレリャーノ・ブエンディア大佐の最期に脳裏をよぎったのは、幼い頃、父親に連れられて氷というものを生まれて初めて目にした、あの遠い日の午後のことだった。当時のマコンド村には二十軒ほどの粗末な泥と藁でできた家があるぐらいで、村のそばを流れる清流の川床は、まるで恐竜の卵が白くぎっしりと並んでいるかのような丸石の群れであった。世界のすべては生まれたてで、名前すらついていないものもあって、いちいち指ささないと伝わらない風だった。


このナンタラカンタラ大佐は、大佐というぐらいだからそこそこ年を重ねている男性で、銃殺刑ということは、戦争か何かで敵の手に落ちたか、自軍で国家反逆の罪を問われるかして撃ち殺される、つまりそのくらいには高位の軍人だってことですよね。その最期の瞬間、彼の脳裏をよぎったのは、幼い日の情景で、川底のきらめきはまさに幼児の目線、そして世界のすべてが幼い彼にとって、そして村を作ってまもないおとなたちにとって、目新しいものであった… そういう幕開けです。

この『百年の孤独』なる大長編小説は、安部公房、大江健三郎、筒井康隆、寺山修司、中上健次といった日本を代表する作家たちに多大な影響を及ぼした…のだそうですが、この方たち、翻訳がおかしいとは思わなかったのでしょうか。私のもののほうが簡潔明瞭、情景豊かですよね。

翻訳されたのは鼓直(つづみ・ただし)という方だそうです。1930年生まれ、法政大教授、2019年死去…

ボルヘス『伝奇集』は読んだことがあります。岩波文庫に入っていたのかな。あれは面白かったです。

しかし『百年の孤独』については、どうなんでしょう。邦訳版は 1972年刊行。1999年に改版しているそうなので、そのときに訳を改めていて、それが今年(2024年)の文庫版に転用されていると想像します。(訳者さんは故人ですしね)

ラテンアメリカ小説ブームの立役者だとか。1970年代のことですね。

ノーベル文学賞を取るか取りそうな海外小説については、大学の偉い先生がお訳しになるのが不文律なのでしょうかジャパン。かつて翻訳者は、ジャンルにもよるのですが目利き役も兼任していました。ブンガクとなるとなおさらそうだったと思います。あるいはブンガクの翻訳をしているからこそキョージュなのかな、どうかな。


ふと思った。日本で海外文学の権威として称えられている歴代の翻訳家さんたちのお仕事、つまり著名小説の邦訳版を取り上げていって、なんやねんこの訳はと各人腐していく本、もし書きおろしたら受けるかなーって。
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