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あるべき「戦メリ」の音符、弾き方について

この方の音楽エッセイには前から感心していました。

このなかに、グールドによる「ゴルドベルク変奏曲」演奏を採譜するという行為について語ったものがあります。

バッハが殿様のために、その不眠症をなだめるための曲を作って、それはもともと二段式鍵盤のチェンバロで弾く曲でしたが、それをグールドがピアノ(つまり一段式鍵盤)で彼独自の新解釈で弾きこなしたレコードが大評判になったという逸話、どこかで目にしたという方、少なくないと思います。

バッハ監修の楽譜を、神童グールドが演奏したわけですが、今度はその演奏をどなたかが採譜したものがあるとかなんとか…

ややこしいですね。それはバッハの曲であるとともに、グールド演奏の楽譜でもあるわけだから。

クラシック音楽の世界では、そういうのがよくあったそうです。

ショパンの楽譜について、本人が最終チェックした「正規版」と、彼が弟子たちに自分の曲の演奏を指導した際の書き込みをもとに後世の音楽学者たちが整えた「解釈版」の、二系統があるのだとか


いわゆる「解釈版」

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「戦場のメリークリスマス」という定番曲があります。これを弾けば下手でも上手でもまわりから一目置かれてしまうという名曲。

あれのピアノ楽譜は、作曲者そのひとによる監修版が、少なくとも三つあります。

ひとつは同題の映画公開と同じに刊行されたもの。(ご本人よるピアノ演奏録音もカセットブックとして別の社から出てますね。1983年)


ひとつは 2004年刊行の『04』収録のもの。(来月再刊予定)


もうひとつは作曲者の公式サイトで販売しているもの。例のお別れ演奏会で奏でた「戦メリ」は、これ準拠での演奏でした。


実は私、この三つ目の楽譜は、あのお別れ演奏会での「戦メリ」演奏を彼が自ら採譜したものだと思い込んでいました。

違うのですね。自分の命が残り少ないことを思って、前より代表曲をひとつひとつ推敲していた、その「戦メリ」楽譜を弾いたものだったのです。

1983年版、いわゆる「Avec Piano」版は、演奏が先でした。

当時の様子を、当時の担当編集さんが生き生きと綴っています⇩

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この編集さんがその場の思い付きで口にしたアイディアに、若き龍一さんがぱっと反応して、楽譜を書きだして、そのままピアノに向かって弾いたのが、これだったのだとか⇩
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もとは映画のサウンドトラック用に作られた曲です。プロフェット5というアナログ・シンセ(つまみをひねって音色を変えていける鍵盤キーボード)を使って、多重録音で作られたものです。
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これを作曲というか多重録音で完成させるにあたって、彼は数枚のスケッチしか事前に用意していません。自宅のピアノで、朝起きてちゃちゃっと三つのモチーフを思いついてメモって、そのひとつがメインテーマにいいぞと即断して、それをもとにちゃちゃちゃっと8小節のスケッチを記して、それを再度弾いてみて「うーんなんかちがうなー」と(おそらく)つぶやきながらオタマジャクシを少しいじって…そんな風に、おそらく一時間もかかっていなかったのではないかなーって、当時のスケッチを眺めると想像されます。

こんな感じ⇩

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ジョン・ウィリアムズの場合、自宅のピアノでスケッチを書き記していって、それをオーケストレイターに渡してサウンドトラック演奏用に大楽譜にしてもらっているそうです。

演奏会で演奏されるものは、そうした楽譜を元に、生演奏用にやはりオーケストレイターが整えてくれたものです。ジョンの監修はむろんこれにも入っていると想像します。

ということはそれが「正規版」ですね。ジョンはそうした正規版楽譜が、いつでも誰でも手に入るような体制を、音楽出版社と組んで整えていきました。保守的なクラシック音楽の世界で、彼が87歳にしてようやくウェルカムされるまでの長い長い道のりとパラレルでした。

「戦メリ」はどうでしょうね。オーケストラ演奏をもともと想定していないまま、いきなりサウンドトラックが多重録音で作られています。

彼のピアノ演奏版も(ピアノ演奏録音にあたってのスケッチ楽譜を除けば)完成されたサウンドトラック準拠です。

この「Avec Piano」版楽譜をよく見ると、シンセのように音を多重多層的に重ねていく音作りはピアノそれもソロ演奏では物理的に不可能なのは承知のうえで、それをピアノ鍵盤に翻案するにはどうしたらいいかという難題を、サティの(いいですかドビュッシーではなくサティの)書法で答えていくチャレンジだったように思えます。

電話対談集『長電話』のなかで彼は「演奏録音終了後、採譜はひとにやってもらったんだけどまるでだめで、しょうがないので自分で一からやっていった。即興演奏的なものを、いちいち音符にくそまじめに書き留めていくのは少々虚しかった」の意の発言を残しています。

つまり「Avec Piano」楽譜は、演奏のほうが先で、あの楽譜じたいは、自分自身の演奏を、最新録音技術ではなく五線譜というオールドテクノロジーでどこまで正確に書き残せるかという時代倒錯的(そして彼にとってはきっとポストモダン)なチャレンジだったといえそうです。

「04」版はどうだったのでしょうね。録音風景を眺めると、楽譜準拠では弾いていないようです。
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ピアノの上で大きな五線譜に(左利きで)いろいろ書き込んでいる様子がうかがえます。演奏が主で、つまり実際に奏でられる音が主役で、それをメモっているような感じです。

あくまでメモで、採譜は録音終了後に自ら行ったのかな?

2022年収録&撮影のこれは、先ほども述べたようにすでにご本人によって磨き上げられた楽譜があって、それを演奏したものだそうです。
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このとき使われた楽譜を私は入手していないので、聴き比べはしかねますが、おそらく楽譜のものが彼にとっては至極最高の「戦メリ」で、それを残された体力を精一杯使って完璧に演じ切るぞという、そういう演奏姿勢だったのかなって、想像します。


そうだとしたら、彼はやはりどこまでもナルシストさんだったのですね。

父親を介して縁があった、この方のように。



[追記]これによると 2011年にも本人監修のピアノ楽譜が作られていて「戦メリ」も含まれていたようです。韓国でのピアノライヴ演奏版を譜面化したものか?「1996」のはトリオ演奏の譜面化でした。


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