「真田さん、エントロピーとはそもそも何なんですか?」
「エントロピー」ということばは、よく知られている割にはわけがわからないところがあります。
どうしてわけがわからないかというと、そもそも発見(というか命名)までのいきさつが、とても入り組んでいるからです。
リンゴが木の枝から落っこちるのを目にしたニュートンが、何か閃いたとかの、わかりやすい裏話に欠けるのですよ。(ちなみにこの俗説は、彼が仲良しの姪っ子に万有引力の法則を説明したときの話が元になっているようです)
しかしエントロピーはというと…ないんですよねそういうわかりやすいお話が。
そこでニュートン卿に代わって(といって彼がこの話にダイレクトに絡んでくるわけではないのですが)私が、わかりやすいお話にして差し上げましょう。
物理の研究は、ヨーロッパにおいて二つの流れがありました。
ひとつは、アイザック・ニュートン先生の著作『プリンキピア』によってブーストされた、力学的理解。
月や木星の位置と、りんごが地面に落っこちる現象を、ひとつの原理原則で語ってみせるそのエレガンスぶりは、その後の学者たちを刺激し続けました。
世界の理(ことわり)は、力学で語り切れる! 後にナポレオン・ボナパルトに向かってそう言い切った学者がいるほどです。「神なんて飾りです皇帝陛下、偉い人にはそれがわからんのですよ」という意のことを述べたそうです。
物理の研究には、もうひとつ流派がありました。
熱です。「熱学」と名付けていいと思います。
この派は少々オカルトっぽいです。この世の森羅万象を支え、活かしている命の源があって、その現れが「熱」である、みたいな考え方です。
ただこの流派は、微積の発達もあって、物理学の一大理論として大伽藍を形作っていきました。皇帝ナポレオンに向かって「神様なんて飾りです!」と言い切ったくだんの学者さんも、得意の微積を使って「熱」の正体に迫ったのでした。
前にも少し触れたことですが、微分積分は「無限小」という概念を土台に置いています。小学校の算数で、円の面積を計算するとき、円を超細切りして上下に並べなおしていくと長方形になるというのを、習ったと思います。あれです、あの超細切りこそが「無限小」の概念です。
一方、熱学のほうでも「熱素」という、極めて小さな粒子の存在が、長く仮想されていました。この「熱素」があっちに移ったりこっちに移ったりするのが「熱」であるという理論です。
熱をめぐっては、液体固体気体を問わずいろいろな科学実験のデータが積み上げられていて、それらを解釈するにあたって重宝されたのが微積でした。つまり「熱素」と「無限小」の二つの考え方が、実験データの微積的解釈のなかで混在していったのです。
けれども19世紀の半ばにさしかかるころには、「熱素」の存在を否定するような実験データが揃ってきました。代わりに着目されたのが「エネルギー」でした。
「熱素」は素朴かつ直観的に感じがつかめるものでしたが、「エネルギー」はもっと抽象的なものだったゆえに、当初はオカルト寄りに物理学者のあいだでは受け取られていたようです。
ただこの「エネルギー」の考え方を使うと、それまでどうしてもうまく説明できなかった諸々が、実にスマートに説明できてしまうことから、やがて雪崩的に科学界で受け入れられていきました。
できるだけ簡単な例で考えてみましょう。コップのなかに60度のコーヒーを淹れて、気温20度の空気にしばらく晒すと、どうなるでしょう――
コーヒーは60度より20度まで温度が下がって、気温が20度のままだとすればコーヒーもずっと20度のままです。熱は高いところから低いところに移るわけです。
この現象を「コーヒーのもつエネルギーの一部が、熱に変容して大気に拡散した」と考えるのです。
コーヒーのもつエネルギー総量は一定で、その一部が「熱」という小銭になって散っていった…そんな風にイメージしてもらえれば、それほど難しくはないと思います。
難しい? そうですかそうですか。蒸気エンジンの効率を上げたいという、実に実利的な動機が追い風となって、この「エネルギー」理論は「熱素」論を完全に塗り替えていきました。
するとですね、物理学研究のもうひとつの派であるところの「力学」は、どういう風にこの「シン・熱学」と渡りをつけたらいいのだろうという、新たな課題が、19世紀半ばより、科学者たちにすれば、突き付けられたのと同じだったわけです。
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うーん「エントロピー」の話に入る前に、もうこんなに長い話になってしまいました。これ以上引っ張ると、皆さんが疲れてしまうと思うので、今回は以上「エネルギー」のお話に留めます。
つづき? 今にわかるわ鉄郎。
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