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「キャラクター」の誕生 ― アメリカ判例データベースより浮かび上がるもの(6/8)

スーパーマンは親無しになった
さらにミッキー誕生の10年後、「キャラクターの自律」の決定版ともいえる仮想人物像が現れた。スーパーマンだ。それまでは新聞で使われたまんがの原稿を二束三文で買い集めて商品グラビア雑誌のおまけとして収録することはあったが、1938年創刊の月刊誌「アクションコミックス」は新作掲載のまんが誌としてはアメリカ初で、その創刊号から連載された「スーパーマン」の主人公は商品化からラジオドラマ化、アニメ映画化、ほかあらゆる分野に進出した[1]。


第二次大戦中に作者コンビのひとりが徴兵され、そのあいだに出版社が姉妹作品「スーパーボーイ」を企画・連載したことが火種になって戦後に作者コンビが出版社を訴えたが、連載開始前に社と交わした覚書(1ページにも満たないものだったが)[2]を盾に社は反撃。スーパーマンは社に帰属するという判決が下された。

以後、作者の二人はその氏名すらスーパーマンとその関連作品と商品から抹消された。ミッキーマウスからウォルトの存在が完全にぬぐい取られ、企業体のものとなったようなものと考えれば、これがどれほど主客逆転的で、かつ(ことばは良くないが)画期的な転換点となったか、イメージできるのではないか[3]。


[1] Larry Tye, “Superman: The High-Flying History of America's Most Enduring Hero,” Random House, 2012 にはスーパーマンをめぐっての今でいうフランチャイズ、マーチャンダイジング展開についての記述が随所に見られる。邦訳版『スーパーマン 真実と正義、そして星条旗(アメリカ)と共に生きた75年』(現代書館、2013年)は筆者による翻訳。巻末訳者解説も参照。
[2] 全文がここでダウンロードできる。https://www.scribd.com/doc/299156332/Sept-22-1938-Contract ちなみに作者コンビは連載開始前に同出版社と雇用関係を結んでいた。https://www.scribd.com/document/322176995/Siegel-and-Shuster-December-1937-Employment-Contract
[3] 念押しするが新聞まんがの世界では「スーパーマン」以前より契約慣習化されていた(註47も参照)。ただその頃はキャラクターを今でいう知財と見なす考え方は輪郭があいまいであった。ちなみ後世のアメリカ新聞まんが界では、連載ものについては一定の年毎(多くは十年毎)に契約しなおす形態に変容している。「ピーナッツ」(1950-2000年)もこの契約形態での連載だった(Rheta Grimsley Johnson, “Good Grief: The Story of Charles M. Schulz,” Pharos Books, 1989参照。邦訳あり)。そうでなかったら作者Charles M. Schulzは、「ポパイ」の作者Elzie Crisler Segarのように世の記憶からは消えていたかもしれない。

その7に続く


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