わーい人気記事になってるだよー
「つづく」で幕引きしたのは、書き綴りながらとても一本に収まらないと気づいて苦肉の策でそうしたのです。
編集さんにおそるおそる「ええですか?」と訊ねたら「ええよ」でした。
続きは来年になりそうです。どういう続きを語ったらいいのでしょう。
アメリカの「ニュー・マス」(新数学)大流行と破綻の話と、いつのまにか消えていった小中学校の LL教室が、やはりアメリカ発明のティーチングマシンをその始祖にしていて、「2001年宇宙の旅」で印象的だったあの黒い板が同マシンの宇宙版だったというお話に、スヌーピーのまんがをふりかけるというのを目下考え中なのですが…
うーん中学入試の幾何問題ネタで行く方が、時期的にもウケそうだし…
無限論をやりたいわけですよ私としては。
数学では「時間」が徹底して排除されます。高校数学(というか大学入試数学)までは時間が流れていますが、いざ大学に進んで数学を本格的に学び始めると、時間の進みがだんだん消えていきます。
本当ですよ。
しかしそのおかげで ∞(無限)や極限について、破綻なく扱えるようになります。
ううん ∞ を数学の基本にすえることで「時間」を消滅できたと言いかえてもいいかな。
二本の平行レールが無限遠では一点に交わる現象は、ユークリッド幾何学的には「目の錯覚」とされます。
しかし「無限の彼方においては平行線が一点に交わる」と公理化してしまうと、窮屈なユークリッド空間を跳び越えて、豊かな数学宇宙に旅立てるのです。
それが ∞(無限)論のありがたさであります。
それより前の時代に、解析学におけるあるパラドクスを完全に囲い込んで封印する死闘(イプシロンデルタ論法はその勇者となった!)があったことも、語ると面白そう。
西洋数学の発展は、三つのテーマを抱えての発展でした。
そのひとつが機械作業化でした。とにかく連立方程式を立ててしまえば解が出せるぜ、みたいな。数学の簿記化といってもいいでしょうか。
それは記号操作化あってのことでした。微積はニュートンとライプニッツがそれぞれ独自かつ同時に発案しましたが、ライプニッツは現在も使われているいろいろな微積記号を作ったことでニュートンより先を行きました。
うーん綴るうちにしんどくなってきました、されど我ゆかん、無限の彼方へ!