鍵はコナンではなくシャーロック
○○○○○の新作長編小説!の広告でどーっと本が売れる時代ではなくなって久しいです。
まんがの世界ではもうずっと昔からそうです。鳥山なにがし先生の新連載!と表紙にでかでかと掲げても、人気に火が付くどころかそもそもそのだれそれ明先生がやる気ナッシングで全13回で終わると一回目で堂々と宣言しているような有様でした。いつの話かって?20世紀の末ですよ。
シャーロック・ホームズ最新作!と表紙に掲げると「ストランドマガジン」(ロンドンの著名月刊誌、日本の「文藝春秋」に相当)の売り上げが何倍も跳ね上がっていたそうです。
コナン・ドイルの最新作!だとそういう跳ね上がりはなくて、シャーロック最新作だと跳ね上がったのです。
あの名探偵冒険譚は、劇中人物であるところの医師ジョン・H・ワトソンが、親友シャーロックの謎解き冒険譚を世のひとびとにときどきおすそ分けしてあげるよという体裁で綴られていました。
これ、よく考えたら巧いですよね。シャーロックは著者ではないが、ワトソンという架空の著者を設定することで、シャーロックは著者と同じになっているのです。
鳥山明最新作!では客を煽れなくても、ドラゴンボール最新作!なら世界を煽れるのは、悟空というキャラクター立ちのいい、それでいてどんな物語設定に放り込んでも成り立ってしまう主人公の存在からです。
ただ悟空であっても「孫悟空最新作!」では人々を煽れない。「ドラゴンボール最新作!」でないと。この点も、よく考えたら面白いですね。
「名探偵コナン最新作!」が割と「シャーロック最新作」に近いのかな。しかしコナンやその相棒のどなたかが著者を(仮想的に)兼ねるわけではないので、そこはやはりホームズ・シリーズのほうが商売としては上手だったといえそうです。
小説というメディアだったからこそ成り立った… この事実については、もっといろいろ考えてみる必要があるのではないかと、私には思えます。続きはいつか。
追記:コロナ禍の頃「少年ジャンプ」に両津勘吉が一時復帰していたケースは、第一次大戦下にシャーロックが「ストランドマガジン」に復帰したのと重なるように思えます。サセックスの海岸にすでに隠遁して蜜蜂研究にいそしんでいたはずの彼が、総理どころか国王陛下じきじきの依頼を受けて復帰しダブルスパイとして敵国ドイツの陰謀をくじく的なおとぎ話でしたが、当時のイギリスの人びとにとっては、コロナ禍でもいつも通りの両さんの姿と同じくらい心和むお話だったと思われます。この点についても続きはいつか。
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