飛ばすぜ千のナイフ!(坂本龍一の作曲技法)
昨日「ビハインドザマスク」(Behind the Mask)の分析をアップしたところです。全文英語で書き上げたのは、現代アメリカ史と深くかかわるお話ということもあって、かの国の人びとに留まらず日本国外のファンの方々にこそ読んでもらいたかったからです。日本語版は今後も載せません。しかし日本国内視点から読んでも興味深いものになっていると考えています。
続いて「千のナイフ」(Thousand Knives)の分析を、やはり英語で書き上げるつもりです。この曲は彼の作品の中では有名曲ではないけれど、ピアノライヴでは「ビハマス」とともに好んで演奏されてきました。去年のでは二つとも弾かれなかったけれどね。しかし本人監修のピアノ楽譜集『05』には「ナイフ」が収録されています。この楽譜集巻末には、楽曲分析者からのインタビューに作曲者が一曲づつ答えていくやり取りが収められています。これがなかなか味わい深い。質問者がなかなか鋭いところを訊ねてきて、作曲者もキーボードで実際に指摘箇所を弾いてみて、答えようとあがくのですよ。「あがく」と描写したのは、答えきれていない箇所が目に付くからです。「ナイフ」についても冒頭のコード並行移動のヴォイシングについて、どうしてもうまく言語化できないでいます。「ここのコードの機能がわからないのですが」「うーんわかんないよねー」 このもどかしい問答がなんというか微笑ましいの。
昨年作られたカヴァー版で聴いてみましょう。0 : 21 からの「う~う~、う~う~う~、う~う~♪」と続いていくところ。
楽曲分析取材当時にタイムスリップして、このインタビュアーと作曲者のお二人にヒントを出してあげましょう。坂本先生、どうかこの曲をハ長調(in the C major key)で弾いてみてください。そうです白の鍵盤列です。それから次にトランスポーズ・ボタンを押して、原曲と同じ変ホ長調(in the E-flat major key)で音が出るよう設定してもらえますか。そう、そのボタンです。
最初の和音を弾いてみてください。そう、その和音。私はこの音列を「レ・ペンタトニック」と呼んでいます。固定ドでの「レ」(on D)から始まる「ラ・ド・レ・ミ・ソ」(minor pentatonic on D)
次に来るのがこの和音。私が呼ぶところの「ミ・ペンタトニック」(minor pentatonic on E)
この二つを、続けて弾いてみてください。
和音の並行移動…と見てもいいけれど、私にいわせると、白鍵列で弾けるペンタトニック(pentatonic scale)が切り替わったのです。上のどちらも短調ペンタ(minor pentatonic) すなわち移動ド(movable-Do)で考えれば「ラ・ド・レ・ミ・ソ」(La - Do - Re - Mi - Sol)が長二度上に転調しているんだって考えてもいいわけです。
三つ目と四つ目の和音も、一つ目の和音の並行移動と見ていいです。もっとも一つ目と二つ目の和音(上で分析したもの)が、キーボード上ではハ長調すなわちイ短調上のものとなるのに対し、三つ目と四つ目の和音は並行移動によってイ長調上の和音となります。面白いですね短調がいっとき長調に歪むのです。図解はめんどくさいので今回は省きます
五つ目と六つ目の和音は、一つ目と二つ目と同じ。つまりもとの調性に戻ってくるのですが、七つ目のがよくわからない。
緑で囲った「シ♭」(絵からはみだしてしまうのでわかりにくいのですが黒鍵の音です)はペンタトニック(pentatonic scale)から逸れた音です。どうしてこの冒頭シーケンスのラストに来るこの和音のみ、こういうひねくれたことをなさるのかというと、作曲者はここで私たちにあっかんべーをしているのですよ。「和音の並行移動だと分析して得意がっている諸君、悪いがこの和音はそうはできてないのだよ、ふはははは」と。もっと踏み込んで作曲者のメッセージを解読するとですね「ここまでの七つの和音は、並行移動の体裁をした転調なんだな、わかんなかっただろ」です。実際、上の和音における「シ♭」は、短調ペンタ(minor pentatonic scale)を短音階(natural minor scale)の背骨と考えれば、後者における「ファ」です。この解釈でいけばこの和音は「ファ・ラ・ド・レ・ミ」です。転調をしているわけです。
この後この一つ目から六つ目までの和音が順に再演されます。しかし七つ目の和音は再演されない。違う和音が奏でられます。ある本に載っていた分析楽譜を見ながらこの謎を解いてみましょう。赤で囲んだ和音が謎です。
どうしてこの和音がわけわかんないかというと、以下のように移動ドで図示(in the movable-Do notation)してみればわかります。
黒鍵の音が一つどころか三つも混ざるのです唐突に。しかしじーっと眺めているうちに何か気が付きませんか。これは短調音階(natural minor scale)だなって。そうだとするならば、上で「ミ♭」と記譜される音は、並行長調における「ド」に当たることになります、以下のように。
さらにこの図をじーっと眺めていると、何かまた見えてきます。これって七音音列から「ラ」が抜けたものだなって。(以下のとおり)
「ラストエンペラーのテーマ」を分析したときにも同種のものがありました。七音音列からどれか一つ音が抜けたもの、つまり六音が同時ないし同一小節内で顔見世すると、次の小節で新たなフェイズに切り替わる、跳ぶ。これは龍一独自の技です。七音音階中六音で煮詰まった和音をわざと鳴らして、それを合図に次の小節で jump out of the hyperspace!
この比喩はハッタリではありません。この「千のナイフ」が作曲というかスタジオ録音されたのは1978年。この年の6月下旬に「スター・ウォーズ」が日本公開されました。26歳の無名の凄腕キーボーディストが、この映画に刺激を受けないはずがありません。最新の電子音楽器材をスタジオに持ち込んで、毛沢東の詩の朗読からレゲエからフランシス・レイから日本風人工民謡までとにかく一曲にぶちこんでしまえと、かつて美空ひばり専用に作られてその後減価償却が済んで深夜は使い放題になっていたというスタジオを毎夜占拠。
そうやって作り上げたアルバム「千のナイフ」の幕開け曲が、同題のこれでした。
今聴くと、お世辞にもいいできとはいえないのだけど、その後の彼の音楽キャリアとりわけ映画音楽でのいろいろな技法が、この曲には聴き取れます。その詳細については別の機会に触れるとして、ひとつだけ紹介すると5年後に公開される映画「戦場のメリークリスマス」で、デヴィッド・ボウイ演ずる英国軍将校セリアズが日本軍将校と対峙するときの音楽や、その少年時代の回想での音楽で、和音の並行移動技が使われています。
以上の内容を、これより英語で論じていく予定です。