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45年目の「カリオストロの城」分析

昭和54年12月15日、あの「ルパン三世 カリオストロの城」が東宝系で公開されました。

今日が12月19日ですか。45年を経たわけです。いうまでもなく私はリアルタイムでは拝見していなかったりします。

「銀河鉄道999」が同じ昭和54年8月4日に公開。「カリ城」と同じアニメーターさんの名前がエンドクレジットにあるので、おそらく「999」の作画作業終了後「カリ城」に参加したものと思われます。「『999』なんてテレビといっしょだったから」と豪語していました。

コロナ前にツイッターでつぶやいた「カリ城」監督の職人的天才ぶり語り、以下再掲します。文は少し整えてあるのこころ。


こんなつぶやきを見かけて、ああなんにもわかちゃいないひとなんだと思いました。


そうかな? ルーク君がR2(と3PO)と出会ったのは、偶然でした。

もしR2が老賢者オビ=ワンにさっさと出会えていたら、オビ=ワンはルークに声をかけたのでしょうか。

ルーク君が砂漠で行き倒れしていて、それを偶然オビ=ワンが助け、そのとき彼にすれば偶然、ロボットがいたわけです。

やたら偶然が続いて、そして「わしといっしょに行かないか?」とルークが冒険に巻き込まれていく…ずいぶんご都合主義な脚本です。

宮崎駿が「スター・ウォーズ」を観て「ルーカスなんてたいしたことない」と酷評していたとか。たぶん今私が指摘した弱点に、聡明な彼は気が付いていた。
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ここがおかしい「スター・ウォーズ」の脚本

偶然R2を手に入れたルーク君(R2にすれば手違いで彼に拾われた)、手入れの最中にいきなり謎のメッセージを見せられる。

どうしてR2は、任務とは無関係であるはずの青年に、極秘メッセージの一部を見せたのか?

ジャンク屋にC3POといっしょに拾われた際に、制御装置を仕込まれていて、それをルークに取り外させるために釣り餌としてこのメッセージを見せた…と私は解釈していますが、それでも不自然さは消えない。

ルークに拾われなかったら、どうなっていたのだろう。

もし老賢者に単身でたどり着けていても、ルークを冒険に巻き込む展開はおそらくなかっただろうから、つまりルークの冒険譚としての『スター・ウォーズ』は成り立たなかった…これは致命傷ではないでしょうか脚本の。
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ルパン三世がルークだったら

さてこのシーン、もう一度ご覧ください。

ハヤオ氏はこんな風にパクってます。

主人公に「姫を救い出さねば」とたきつけるアイテムとして、ロボット君と指輪さんはあります。

わかりますか、この二つは作劇術において同一の役目を果たしているのです。

ただルーク君の場合は、この立体映像録画がいったい何なのかわからず、砂漠の外れに暮らす謎の老人に聞きに行くしかないと考えるところで、いったん謎の詮索は打ち切るのですが、ルパンは指輪からすべてを悟る。「こ、この指輪は!」と。

ここです。昔、自分を救ってくれた優しい姫様の指にあった、あの指輪ではないか… これですべてを悟る。「花嫁姿で逃走し、付け狙われている…救いにゆかねば!」

ルパンの手に、指輪がわたるようにするには、どうしたらいいか?

R2はロボットだから、自分で動き回る。しかし指輪は動き回ったりはしない。 どうする?

宮崎はこうした! 姫様に手袋を脱がせる→指輪がいっしょに抜ける。

脱いだ手袋を手ぬぐい代わりにして…

ルパンを介抱する。

その後、彼女は船で連れ去られてしまうわけですが…


手袋はルパンのひたいに残される。

目を覚ましたルパン、手袋から指輪が転がり落ちてきて「何だろう?」と思う。


そして「ああ、この指輪は…」となって、姫様救出のドラマが走り出す。

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ここがとろくさい「スター・ウォーズ」の脚本

スター・ウォーズはというと、姫様救出のドラマ始動までにかなり時間がかかっています

そのうえルークは冒険の旅に出るまでに、うだうだ悩むわけですよ。「いっしょにはいけない。港までは送るから後は勝手にしてくれ」 

ルパンは違う。指輪の持ち主が誰なのか悟った瞬間から行動しだす

立体映像録画もロボットも老賢者も使わず、指輪ひとつで「スター・ウォーズ」と同じ物語を構築してみせているわけです。

指輪がルパンの手にわたるようにするために、ようにするこのカーチェイスが設計されているの、わかるでしょうか?

ルパンが車に乗り移る。

崖から墜落する。

ルパン失神。

介抱せねばと行動する姫様。 手袋を手ぬぐい代わりにすればいい…そう考えて、脱ぎ出す。

このとき、指輪が手袋に脱げ落ちている。

姫様は連れ去られる。

手袋が残され、指輪がルパンの手に転がり落ちる。

こうしてドラマが走り出す。

こう物語が展開するよう、ルパン&次元の自動車は、映画の頭でパンクするわけです。

カーチェイスになって、

こうなって、

こうなって、

こうなって、

救出劇になっていく。

宮崎によるスター・ウォーズへの批評ともいえるわけです。「ルーカスなんてたいしたことない。俺ならもっと面白くしてみせるわ!


つづくよ


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