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「キャラクター」の誕生 ― アメリカ判例データベースより浮かび上がるもの(1/8)

内容の要旨
本論文は、アメリカの判例データベースを駆使して「キャラクター」という概念の歴史的発展を探求する。2018年に判例データベースが無料公開され、キャラクター法理の形成過程が追跡可能となった。本論では、1890年代のアメリカにおけるコミックストリップ(カトゥーン)の初期事例から順に取り上げ、キャラクターが法的に認識される以前の歴史的背景を再考する。さらに、日本のキャラクター論との比較を通じて、キャラクター自律化の過程や知財化に関する誤認を修正し、新たな視点を提示する。

Abstract
This paper examines the historical evolution of the concept of "character" using a U.S. case law database. Following the public release of this database in 2018, it became possible to trace the development of legal doctrines related to characters. The study revisits the historical context of character recognition in law, starting with early examples from U.S. comic strips (cartoons) in the 1890s, prior to the legal acknowledgment of characters. Additionally, by comparing Japanese theories on characters, this paper aims to clarify misconceptions about character autonomy and intellectual property, offering new perspectives on these issues.

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2018年10月29日(アメリカ時間)、独立戦争以前まで遡る、およそ360年間650万件のアメリカ国内判例が、テキスト・データとしてデータベース公開された。

ハーバード・ロースクールの図書館(Harvard Library Innovation Laboratory)は、判例集の蔵書が米国議会図書館に次いで充実している。そこのおよそ4万冊の判例集、すなわち約4,000万ページが、高速スキャナで1日10万ページ、2年間かけて読み込まれ、2018年秋に検索と閲覧が可能となった。

このCAP(Caselaw Access Project)という無償の活動によって、アメリカの判例をほぼ網羅、しかも会員登録制ではなく万人向けに検索が可能となった[1]。

これに先立つ9年前、つまり2009年の後半、私はある本の翻訳にかかり切りだった。「鉄腕アトム」など日本製テレビアニメの黎明期作品の英語吹き替え版をニューヨークで監督した人物による、当時の回想録 “Astro Boy and Anime Come to the Americas” [2]。翌2010年の日本語版刊行のために、日米での当時の業界裏事情の調査研究にくわえ、関係者への取材も行っていた。

奇しくも同2010年2月8日より、アメリカの判例データベース「ウェストローネクスト」(WestlawNext)が稼働開始していた。もっともこれは有料登録制で、大学法学部の資料室などでしか使えないこともあって、在野の研究者にとっては縁故ある学内者を介してしか使用できず、そのため同データベースに基づく調査研究を “Astro Boy and Anime” 邦訳版の巻末解説[3]に反映させることは、時間的制約もあって叶わなかった。


[1] 同プロジェクトの概略についてはこちら。https://enterprisezine.jp/article/detail/11771 その後 CourtListner と改名(https://www.courtlistener.com/)
[2] Fred Ladd with Harvey Deneroff “Astro Boy and Anime Come to the Americas: An Insider's View of the Birth of a Pop Culture Phenomenon,” McFarland & Company, 2008
[3] 『アニメが「ANIME」になるまで 『鉄腕アトム』、アメリカを行く』NTT出版、2011年


キャラクター論に進む
ところで同じ2010年、まんがやアニメやゲームについて「キャラクター」の視点から広範囲に論じなおす野心作が刊行された。小田切博の『キャラクターとは何か』のことだ[1]。

ゲーム「スーパーマリオブラザース」の主人公マリオを例に挙げて、原作ゲームをもとに多様な翻案やフランチャイズ展開のなかで、そのキャラクターの同一性がどう保たれているのかを、「図像」「内面」「意味」の三つの集合が重なり合う図(本論考終盤参照)に擬えて、このどれかひとつが保たれているならば、翻案や商品化を広げるなかでも同一キャラクターとして認識してもらえるという彼の指摘は、新鮮な論としてまんが研究者のあいだに留まらず好意的に受け止められた。

このキャラクター公理とでもいうべきものを論の軸に置いて、従来のまんが・アニメ・ゲーム論の枠組みの限界を述べ、さらに著者は、日本のまんが編集者がこのことに無自覚なまままんが家と向き合っているとする批判を、本書冒頭で行っている。

ある人気漫画家が担当編集者との不和を理由に、連載を終了して他社の少年誌で再開した事例を取り上げて「同作品はテレビアニメ化されて商品化印税がこの出版社にも流れ込んでいた。その作者を怒らせ立ち去らせる事態を招いた編集者は、同作品の主人公をはじめとするキャラクターこそが肝であることを理解していなかった」と[2]。

だが著者は実はこの序章からすでに、基本的な事実誤認をしている。

私の調べでは同作品の商品化許諾業務はこの出版社ではなくアニメ化を行っていたアニメ会社であり、つまりもし原作者が他社に連載を鞍替えしても、同出版社は商品化印税の分け前については、鞍替え以前と変わらず受け取れる契約内容であった[3]。

さらには、同作品のアニメ化を行った会社の当時の年次報告書を見ると、同番組の商品売上は2004年度をピークに翌年度は大幅減少[4]。それが要因であろう、講談社への移籍騒動よりずっと前にアニメ制作は打ち切られていた[5]。

つまり「数百億円の出版外利益をふいにすることに編集者が気づいていなかった」[6]とする著者の主張は、裁判記録や利潤データを調べないで、自分のキャラクター分析論を根拠づけるために同事件の経緯を脚色・改変したものと言わざるを得ないのである。

同書を書き上げるにあたって著者がインスピレーションを得たと思われる、『テヅカ・イズ・デッド』(伊藤剛、2007年)[7]にも、同種の事実誤認がみられる。若書きゆえか文が生硬で読みにくい本だが私なりに要約すると「まんがのコマとコマは独立した絵だが、コマからコマに同一人物が続けざまに登場していると見なすとき、その人物(キャラクター)はコマとコマの境をとび越えて『キャラ』に自律する。そして『キャラ』によってコマとコマの不連続性がむしろ時間の経過ひいては物語性を滲みださせる」という論を軸に「キャラ/キャラクター」を公理に置いたまんが研究への提言というところだろうか。

図1 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』NTT出版、2007年、p.117より


この理解が著者の論を正しく読解したものだとして、アメリカの判例データベースを使って最初期のコミックストリップをめぐる裁判記録を探っていくと、実際はこの著者の主張とは異なる歴史的推移で「キャラクター」の概念が1900年代より立ち上っていったとみるべきではないか、と思えてくるのである。

小田切や伊藤のものを始め、日本の国会図書館データベースを検索してもわかるように、キャラクター論は、日本において週刊誌記事レベルのものから学術論文それに本格研究書まで百花繚乱の観がある。しかしキャラクターの法理論となると、ライセンシング実務用のものはたくさん見られるものの、そうした法理論がどうやって今の形に整えられていったのかの歴史的経緯を、各時代からの一次資料をもとに語ってくれるものは、書籍の他に知財専門誌等のバックナンバーも探ってみたのだが[8]、驚くほど少ない[9]。(そのうえ上述の『キャラクターとは何か』をはじめ、どれも事実誤認が目立つ)

幸い「商品化権」と呼ばれる権利については、牛木理一による長年の研究のおかげで、アメリカ法制下でどのように形になっていって、日本でどうローカライズされていったのかが日米両国の各時代の判例分析とともに検証されたものがある[10]。生前に牛木と意見交換する機会が筆者には何度かあったことも幸いして、彼の商品化権研究をアメリカン・コミックストリップそれにアニメイテッド・カトゥーンの誕生と発展の研究に応用するめどが立ってきた。

そこに2018年10月より前述のCAPが稼働したこと、さらには一年半後、つまり2020年3月より無料AI翻訳サーヴィス「DeepL」が日本語対応を開始したことで、CAPに蓄えられた膨大な判例データを、原文(英語)とそのAI日本語訳の両方で、高速に検証できるようになったのは(コロナ禍と重なることにはなったが)私には心強い追い風となった。

そして「cartoon」や「character」等を検索ワードに、アメリカの判例を建国以前のものまで改めて遡ることで、興味深い事実が浮かび上がってきた。


[1] 小田切博『キャラクターとは何か』筑摩書房、2010年

[2] 断わっておくとカギ括弧内の文は小田切のものではなく本論文用に私が要約したものである。雷句は『金色のガッシュ!!』の連載終了時期を巡って小学館編集部との意見が食い違い、さらに原稿返却の際に、数点の原稿が返却されなかったことや、その際の編集部側のずさんな管理体制に疑問を抱き、08年6月6日に小学館に対し、損害賠償とポジフィルムの返還を求めて東京地裁に提訴。訴訟の詳細は雷句のブログで公開された。同年11月11日、雷句は小学館の謝罪と和解金255万円で和解を成立させていた。

[3] 雷句は平成20年6月6日に東京地裁に提訴。事件番号は平成20年(ワ)15321号。訴え出たいきさつは彼のサイトに綴られている(http://raikumakoto.com/archives/5649678.html)。同裁判にあたって原告側から提出された訴えのなかに、同著者と同出版社とのあいだに交わされた連載と出版契約書が確認できる。余談だがこの頃の「週刊少年マガジン」(講談社)のまんが連載契約書も筆者は確認している。同誌で当時連載経験のあった別のまんが家のご好意で閲覧させていただいた。

[4] 「プリキュア」シリーズでの商品化印税収入が大躍進中だった。「東映アニメーション株式会社 東映アニメーション株式会社2005年3月期決算」プレゼン用資料を参照。https://www.toei-anim.co.jp/corporate/ir/ksn_pdf/20050516_presen.pdf

[5] 2003年4月~2006年3月放映

[6] 同書p.12より。簡潔明瞭にするために多少縮めたが著者の文意からそれほど逸れてはいないと考える。

[7] 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』NTT出版、2007年

[8] 翌1966年の「コピライト」(著作権情報センター、10月号)には人気テレビアニメの主人公たちを商品化する際にカギとなる「商品化権」についての論考「権利者と使用者 ―それは車の両輪である―」(谷井精之助)が、また同年の「東京玩具商報」(東京玩具人形問屋協同組合、12月号)にはある業者が権利者に無断でアニメキャラクターを商品に使用したことを謝罪する広告が確認できる。国産テレビアニメ番組が1963年より数を増やし関連商品が市場を席捲した時代をうかがわせる。(そういえば1965年刊行の自由国民社・編『現代用語の基礎知識1966』には「商品化権」の項目が新語として登場している) ただ法学者たちがそうした事態を当時どこまで把握できていたか、非常に疑わしい。1967年刊行の土井輝生『工業所有権・著作権と国際取引』(成文堂)に目を通しても、商品化権についてはあまりページが割かれていない。著者はフルブライト奨学生として渡米しアメリカの知財法制をハーバード大で学んだ俊英だが、キャラクターをめぐるアメリカ生まれの諸々の考え方を理解しきれていなかったのがうかがえる。

[9] 例外は日本商品化権資料センターが1966年より毎月刊行している「マーチャンダイジングライツレポート」のバックナンバー。かつての当事者が回想インタビューや座談会の体裁で当時のことを振り返ったものが散発的にだが確認できる。

[10] 牛木理一『キャラクター戦略と商品化権』発明協会、2000年ほか。

その2に続く


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