![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162416959/rectangle_large_type_2_2b4ed0ea23fc22913118dd1e760be898.jpeg?width=1200)
「キャラクター」の誕生 ― アメリカ判例データベースより浮かび上がるもの(4/8)
ミッキーマウスは誰のもの?
ここで論の舞台が、ニューヨーク市からロサンゼルス市に移る。いわゆるハリウッドだ。当時の同地におけるアニメ業界の状況について詳細は、本論の字数制限もあるのでここでは省き、名高いウォルト・ディズニーのミッキーマウス創造譚に着目しつつ、法の視点から迫ってみたい。
概略からいこう。ディズニーのスタジオは、アリスという女の子(実写撮影)がまんがの世界にさまよいこんで大冒険というシリーズを作っていた。一方、映画会社ユニバーサルがフィリックスのような人気アニメシリーズを欲していた。そこである配給業者に打診して、そしてその配給業者がディズニーのスタジオに話を持ち掛けて、同スタジオはうさぎのオズワルドという擬人化動物主人公を用意した。次に配給業者はユニバーサル社と契約書を交わした。前者が後者にオズワルドという主人公のアニメシリーズを26本順次納品すると。そして同業者はウォルトのスタジオと契約を交わし、26本ぶんの制作と納品を約束させた。(1927年)
![](https://assets.st-note.com/img/1731978556-SfztlpBjs7nURahb139u0DHw.png)
オズワルドはディズニーのスタジオで開発されたが、この契約形態だと、その帰属についてはきちんと話し合われていなくて、ディズニーのスタジオはこの業者に完成フィルムを納入していくという、それ以上の存在ではなかったことがうかがえる。
そもそも契約のとき、ユニバーサルもくだんの業者も、オズワルドが誰のものなのかなどという抽象的な議論を交わすことはなくて、関係者全員の脳裏をよぎることさえあったかどうか疑わしい。
これが争点として浮上したのは、26本の制作完了を前に、業者とディズニーのスタジオとのあいだで契約更新をめぐる交渉が行われたときだった。ディズニーが興行収入の分け前アップを同業者(ちなみにロサンゼルスではなくニューヨーク市に社があった)に申し入れたところ「おたくのスタジオのアニメーターたちにはすでに声をかけてあるので、彼らをスカウトして新スタジオでオズワルドの新作を作らせるので、あなたには26本ぶん作ってもらった時点で契約更新はしないつもりである」と通告されたという、数あるディズニー伝記で必ず取り上げられるあの有名な事件のことだ。
そうした公式伝記では、オズワルドの著作権が同業者によって横取りされたという風に記述されているが、本論をここまで読んでいただいた方ならピンとくるように、これは後世の目でディズニー寄りに偏って解釈されたものだ[1]。アニメの主人公(いうまでもなく架空の存在だ)が誰のものなのかという議論じたいが、この頃の映画人たちには理解不能なものだったろう。
若きウォルトにとっては不幸な事件ではあったが、これのおかげで彼は、「キャラクターとは何か」という極めて抽象的な問いかけの重要性を、交渉決裂の痛みと、自分を裏切ったアニメーターたちへの怒りとともに、気づいていった。
ロサンゼルスへ戻る汽車のなかでモーティマー・マウスという擬人化ねずみを思いつき、同行していた妻より「ミッキーのほうがいいわよ」と言われて生まれたのが、あのネズミだった… ディズニー伝説のなかでとりわけ何度も繰り返し語られる逸話なので、ここでは言及を省く。その後の快進撃の伝説についても、だ。
むしろこの頃のウォルトの広報用写真の変化に着目したい。
![](https://assets.st-note.com/img/1731978556-8JGzYRpSfdiTLAXaKZhuWrPE.png)
ここに写っているのは、ウォルトとその腹心のアニメーターだ。オズワルド事件のときもウォルトの下に留まって、彼のアイディアとスーパーヴァイズの下、ミッキーマウスをデザインしたのもこの人物だった[2]。
しかしミッキー映画の配給を行っていた業者(先のとは違う社)が、その後ディスニー社との契約更新をするのではなく、このアニメーターを引き抜いた。そして新たにスタジオを作らせ、ミッキーマウス以上に人気が出るような擬人化動物を開発させて、シリーズ化させた。
このできごとはウォルトにとって新たな裏切り事件となった。以後のディズニー社広報用写真では、ミッキーといっしょに写るのはたいていウォルトひとりだ。ミッキー映画の人気はその後も衰えず、ほかのミッキー人気追従的な短編アニメ映画(先に触れたシリーズも含む)に差をつけ続けた。そして第一作の公開よりちょうど4年後にあたる1932年11月には、第五回アカデミー賞の特別賞が「ミッキーマウスの創造者」[3]として授けられた。
![](https://assets.st-note.com/img/1731978556-3WnYkDUQREcXt47oNm5bL9JB.png)
ミッキーを発案したとはいってもデザインは腹心だったアニメーターによるもので、映画にするための何千枚もの作画作業も社員絵師たちの分業流れ作業によるものだ。1921年のニューヨーク州裁判所の例の判断を、もしカルフォルニア州にも適用されると仮定して杓子定規にミッキーマウスに当てはまるならば、ミッキーは誰のものなのか特定不能ということになって、ウォルトの創造物とは見なされなかっただろう。1920年代とともに商業アニメーションのメッカがニューヨーク市からロサンゼルス市に移っていたのは、ニューヨーク州限定の司法判断を事実上無効化するのに(あくまで結果論的にだが)貢献したといえそうだ。
[1] 日本語版のWikipediaも「1928年2月、配給先のユニバーサル・ピクチャーズと製作費に関する交渉を行った際、所有権がユニバーサル側にあることを突きつけられ交渉は決裂、さらにチャールズ・ミンツによる従業員引き抜き工作によってウォルトとアブは作品を放棄。オズワルドに関する全ての権利に加えて、有能なアニメーターを手離すこととなった」と、まるでオズワルドが当初から知財として扱われていたかのような事実誤認の記述をしている。「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」項目参照。興味深いことに英語版はオズワルドの諸権利についてもう少し遠回しな記述になっている。(2024年8月末現在)
[2] アブ(Ub Iwerks)についてはその息子による評伝がある。Don Iwerks, “Walt Disney's Ultimate Inventor: The Genius of Ub Iwerks,” Disney Editions, 2019
[3] “for the creation of Mickey Mouse”