ファスト郊外化とその後を占う
何か語りたいときは、とにかく思うままに綴ってみるのが、私のスタイルです。
そしてラストまで書き上げてみて、後日それを再読して「ここが弱い」「ここ何ゆうてんのかわからんわ」といちゃもんをつけまくって「ええいこの能無しめ、わしならこうしたるわ」と改稿すると、ぐっといいものに変貌するのです。
生まれ持っての眼高手低だからかな。
先日、こんな面白いやり取りを目にしました。以下全文を引用します。
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問:過疎となった地方を救う意義はありますか?その土地に住む人が他の街に移住した方が国や地方自治体にとってもコストが削減できるのではないでしょうか?
答:おっしゃるとおりで、狭い地域に集住していたほうがインフラ整備等のコストを抑えることができるでしょう。しかし、お言葉を返すようで恐縮ですが、私は過疎地域全体を見捨てる必要はないと考えます。具体的には過疎地域であっても旧市街などを集住地にしてみんな寄り集まって暮らし、過疎の海の中に浮かぶ街として存続できればいいと思っています。私は仕事の関係で秋田県秋田市にちょっとだけ住んでいましたが、「秋田市中心市街地活性化基本計画」[1] によると、秋田市中心街にはこのような歴史があるそうです。
東西分け目の関ヶ原の戦いに参加せず、どっちつかずの日和見的な態度だった常陸国の佐竹氏は石高を大きく削られて出羽国秋田郡に「左遷」された
その佐竹氏が築城した久保田城の城下町として秋田は発展し、旭川の東、城の南側は「内町」(武家町)で、旭川の西側は「外町」(町人町)だった
明治維新後、久保田城址の西隣りには秋田町役場→秋田市役所が、またメインストリートの広小路の南側のかつての武家町には県庁や国の機関が置かれた
昭和30年代に入ると久保田城址の周囲の県庁や市役所を始めとする官公庁が秋田市西部の山王地区に移転し、その跡地には昭和40年代に大規模小売店舗が進出した(中心街商業地区の誕生)
秋田駅西口の広小路と中央通りの間の地名的には「中通」の全盛期は昭和40年代から50年代で、商業施設が集積し多くの買い物客が行き交う繁華街になった
ところが平成になるとモータリゼーションの完成による「郊外化」が進展し、また日米貿易摩擦解消というトレンドの中でいわゆる「大店法」による中小零細商店の保護がWTO協定違反に当たるというアメリカの攻撃を受け、郊外のロードサイドへの大型商業施設のオープンが相次いだ(大店法は平成12年に廃止)
郊外化の流れに乗って商業施設だけでなく公的施設の郊外移転も相次ぎ、平成10 年には中通にあった秋田赤十字病院が郊外の上北手へ移転した
平成14年には大町地区のダイエー秋田店が撤退するなど中心市街地における大規模小売店舗の閉店・撤退や規模縮小、大規模小売店舗の市内幹線道路沿いへの出店が加速した結果、市中心部(中通地区)の商業活動の停滞、地価の低下を招いた
このような経緯と多くの要因により秋田市の中心街の衰退と郊外化が進展しました。郊外化による中心部の「空洞化」は秋田市に限ったことではなく、全国の地方都市共通の現象です。私の父母の故郷は人口10万人程度の地方都市で、父(祖父)の家は中核駅から徒歩5分というまさに中心街にありました。まあ、その祖父の家は売ってしまったのですが、モータリゼーションの進展により街中の駐車スペースの確保できない狭い土地に建つ家を売って郊外の新興住宅街の広い敷地の家へ引っ越す人がたくさんいました。
モータリゼーションというトレンドがあったのは事実ですが、この郊外化で大儲けした人たちがいたのも事実です。地方都市の郊外の土地なんてタダ同然で買えました。その安く入手した土地に道路を引いて電気・ガス・水道などのインフラを引くと工事だけで業者さんにカネが落ちます。トドメに大型ショッピングモールや公立病院のような核となる施設を誘致すれば、買い物や通院に便利な住宅街の出来上がりで、タダ同然の土地が建売住宅込みでそれなりの価格で売れるわけです。まさに「現代の錬金術」です。
郊外化で業者さんは儲けたし、中心部から引っ越した人たちも広い家を手に入れてWin-Winだったわけですが、「副作用」でかつての中心部が過疎化して街の「核」がなくなり、高齢化により高齢者であってもクルマを運転しなければ生きていけない不便な社会になり、人口減少により郊外まで広がった電気・ガス・水道のインフラ網の維持にもコストがかかっていまうという、郊外化が裏目に出てしまう社会が出現しました。現在のファスト風土化・郊外化した地方都市が高齢化・人口減少時代にフィットしないのは明らかです。
そこで令和は平成前半に進行した郊外化の歯車を逆回転させて中心部への人口回帰の時代になります。現に例に挙げた秋田市もタワマンなどの建設により中心部の人口増が始まっています。特に降雪地帯は高齢者は広い一戸建てに住んでいても雪下ろしが大変なだけなので、高齢者がマンションへ移り住むケースが多いのです。人口減少時代に地方都市が広い郊外に分散して住む人たちのために公共インフラを維持するのは不経済なので、昭和の時代のように再度街中に移住してもらうのは合理的です。
いくつかの地域への集住化で公共サービスの「守備範囲」を狭めることは確実に地方自治体のコストダウンになりますからサスティナブルです。昔の日本の村境には「無主地」というどのお殿様の領地なのか誰が年貢を納めるの責任を負っているのかがはっきりしない土地がたくさんありました。21世紀後半の日本の地方部はmarginalな無主地の中に人々が寄り集まって暮らす街がある、そんな世界になると思います。過疎化した地方を見捨てることなく、かつ低コストで維持する方法があると思うのです。
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こうして貼ってみて、目を通しながら、どうかな~となるほど~が私の国語脳のなかで入り混じりました。
実は今年の夏、私の暮らす市の、アーケード繁華街エリアの天守閣といっていい、大きな百貨店が店じまいしました。
昨年そのお隣に超高層マンションができて、入居が始まっていたのと入れ替わりに、この百貨店の店じまいが公表されたのです。昨年です。
3月に大掛かりなお祭りが、このビルとは道路を隔てて南に伸びる公園であったのを覚えています。昨年です。
同じ2023年10月、くだんの百貨店が店じまいすることが公にされました。
ということは、少なくともその半年前には、市長さんにもそのことが伝えられていたと思われます。(地元紙によると同年5月)
3月に高層マンション開業を祝うイヴェントを、市も参加して派手に行った、その二か月後ですか…
さかのぼれば2005年に地元私鉄のターミナル駅が百貨店業務を終えています。1999年にも、やはり私鉄系の百貨店が店じまいでした。
このネタで何か一本、語れるかな。
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