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「定年女子」のそれから④

退職後、週2-3回の派遣契約として見つけた仕事は運動系イベントの事務局だった。それは就労経験約36年の私にとって初めての分野。実際の仕事の内容は、もう1人の派遣スタッフとシフトを組んで電話対応と事務のサポート、まあ基本はお問合せの電話を取ることとその時その時依頼される細々とした業務。たまに外国人からの電話もあるだろうということで、英語対応可能な人という話だった。

勤め出して気づいたこと、この組織がいくつかの組織から混合チームであり民間企業も入っているということ。こういうイベントってこういう形になってるんだ、と改めて知った。仕事自体は簡単といっては失礼だが、基本は暇、エントリーが始まると急に電話が騒がしくなり、それに追われる。けれど自分で判断できることはない、全てお伺い、言われた通りの言葉で伝える、うむ、こういうことなのか…。私は手の空いた時にルーティンのマニュアルを作り、エントリー手順の説明マニュアルを作り、それはそれで楽しく仕事できたと思ってはいる。週2-3回の無理のない仕事、期限は3月末までだった。次年度は…という話が出た時、誰かの指示を受けて黙々と働くという形が私にはもう無理だと気づいた。

約36年間色々あったけれど、少しずつ、時に横滑りしながらもポジションが変わり、仕事の幅が拡がり、それによって発言力をつけ、達成感を感じ次を目指してきた。最後はギブアップ!?だったことは事実だが…。だからなのか分からないが、何一つ意見を言えない形で働き続けることは私にはできなかった。例えアルバイトだとしても。そしてもう何かの組織に雇用される形で働くことは難しいだろうと。

であるならばどうしようか、それが次の課題になった、2016年の春。

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