これでいい
重い腰を上げて勤めていた保育園に荷物を取りに行った。久しぶりに見る保育園は太陽にギラギラ照らされて私が入れるような場所ではなくなっていた。
保育室に置いてきた自費で買った大量の絵本、保育教材を園に寄付するなんてことも惜しかったので仕方なく保育室に向かった。土曜日ということもあり私のクラスの子どもたちは数人。でも相変わらず部屋を走り回っていて変わらないな〜と思ったり保育室の環境が壮絶な2ヶ月を物語っていて少し心苦しくなった。私のことを好いてくれていた女の子が「彩花先生なんで休んでたの〜」と声をかけてきた。次にクラス1手のかかる男の子にも「あ、彩花先生だ、覚えてるよ〜」と期待の眼差しを向けられて溢れ出そうな涙と本当のことを伝えたいと胸がもっと苦しくなった。私は今年の夏に子どもたちとやろうと思って買った水風船を棚の1番奥にしまって「今度やろうね」と伝え保育室を出た。
事務所に行くとなるべくなら顔を合わせたくないな〜と思う先生たちがしっかりいて視線を感じながらも色々な手続きを済ませた。そして下駄箱に貼ってあった名札を思い切り剥がして園を出た。
パニック障害、鬱の症状も少しずつ落ち着いてきて私はまた普通の生活が送れるようになってきた。働いていたころとまではいかないけれど今ならまた働けるかもなんて少し思うこともあった。けれど職場に行くとここじゃないというよりここじゃなくていいと改めて感じた。辞めると決めた時よりも少し前向きに「退職」という言葉を口に出せるようになった。
社会人3年目、すでに2回退職を経験した。小さな頃から始めたことは最後までやり遂げるタイプだったからまさか自分がこんなにもすぐ退職を経験するとは思ってもいなかった。でも退職を経験して「社会人は何か妥協しながら働く必要がある」ってことを知った。その妥協が自分にとって納得のいく妥協なのかもしくは譲れない妥協なのかそれによって「働く」ことに意義を見出せるのだと。私は譲れない妥協をせざるを得なくて退職をした。側から見たらきっと「頑固だ」とか「そんなこと言ってたらきりがない」とか言われると思う。自分でもこの先、どこで働いても柔軟に物事を考える、捉えることは大切だよなと。でもこれからも社会人人生は続くって考えたらやっぱり譲れる妥協を持って働ける場所で働きたい。それがどんな妥協なのかはわからないけど最初は妥協だったこともいつかは「確かにそれもありかも」「これでいい」と思える妥協をしながら働けるようになりたい。そんな会社に出会えるかはまだ分からないけど社会人人生は長いからいつかは出会えると信じて、何事も経験だと思って。
「これでいい」
転職は悪くないぞ自分。
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