新世界のあたま #325
動画編集のカラーグレーディングという、色のコントロールについて、勉強と練習をしてみている。YouTube でやり方を教えてくれる動画なんかを観ながら、観よう観真似であれこれやってみている。
音楽に制作にも近い部分がたくさんあって、頭のなかで置き換えながらちまちまと作業していると、あっという間に時間が過ぎていく。
音楽の制作作業をする場合、いわゆるやり方みたいなことを気にしなくなっている。やり方をすっかり憶えてしまっているからということも大いにあるけど、どちらかと言うと、こうしたいというイメージが先にあって、それを表現するために手を動かすという感覚で作業を進める。もちろん思い通りにいかず、行ったり来たりすることもたくさんあるけど、やり方のことを考えることはもうあんまりなくなっている。ということに、やり方の段階からカラーグレーディングを練習していると気付かされる。
これだけやり方のレクチャーが溢れかえっている世の中では、やり方の一歩先へ駒を進めることが逆にむずかしくなっているのかもしれない。こうすればうまくいく、という段階でもそれっぽいものは出来上がる。それは音楽でも映像でも同じだけど、やり方のモノマネは確実に飽きる。しかもけっこう早い段階で。本当にものごとがおもしろくなるのは、やり方のもう一個か二個ほど先の段階以降なのだと思う。
音楽で、やり方のその先があるという経験をしているということは、もしかするとものすごくデカいことなのかもしれない。映像に関しても、今この段階経た後に、上手かろうが下手だろうが、自分がどんなものを最終的に作りたいかという終着点に先に点を打つことができる。ような気がする。
世の中にある「いい感じのもの」は、そうやってどこかの誰かがイメージしたもので、やり方を基に作っているわけではない。ツールは、あくまでツールでしかない。だけどツールを身体の一部のように、場合によっては魔法のように扱って作っている。音楽以外の分野のことで、それが感じられたことが、ものすごくデカいと思っている。
今日のMUSICTRICAL
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