新世界のあたま #331

毎週日曜日の深夜に「深夜の小躍りサンデー」と題したオンラインライブを配信している。小躍りという言葉を使った理由は、基本的には四つ打ちのハウスミュージックっぽい音楽を中心にやろうと思っていたいたからだった。

はじめて1年以上経つが、現時点で結局ハウスっぽいことをあまりやらなくなってしまっている。なんとなくハウスミュージックごっこをやってるような気分に、俺自身がなってしまうからだ。

ハウスなどのいわゆるダンスミュージックと呼ばれる音楽は、クラブなどの現場で鳴らすことが前提としてある。俺はもともとライブハウスに通っていたタイプのキッズくんだったので、クラブではじまった音楽文化を現場の空気感ごと理解していない部分があると自覚している。ドイツのミニマルなハウスにはかなり影響を受けているけど、その音楽を作ったり流したりしている人たちと同じ道を歩いてきたわけではないし、そのことにコンプレックスみたいなものを心のどこかに持っている。なので、そんな俺にはほんものハウスが鳴らせるはずがないと、どこかで少し引け目を感じてしまう。

そんな敷居の高さが、ジャンルやカルチャーごとに確実にある。わかっている人しかここから先は通れないという雰囲気的な壁が、クラブミュージックのような閉鎖的な空間には必ずあるし、それは絶対にあったほうがいいと個人的には思っている。

音楽は万人に開かれたほうがいいというイメージが一般的にはあるかもしれない。ロックフェスと呼ばれていたものが、いつしか音楽フェスと自然に呼ばれるように変化した。SUMMER SONIC には、当たり前のようにアイドルが出演するし、それをある種のロックであると捉えて、観客側も受け入れることがそんなに気持ちの悪いものではなくなっている。だけど、俺はやっぱり昔のロックフェスらしいフェスだったころの SUMMER SONIC が好きだし、魂を売った部分はぜったいにあるだろうなと、嫌な見方をしてしまう部分がある。そんなもんロックじゃねえよと、すっかりおじさんっぽいことを思ってしまうことはある。

ロックはざんねんながらもうあんまり流行らないけど、そういえばハウスがロックのような大衆音楽になったことは一度もない。ロックは誰かに殺されたんじゃなくて、最初から死ぬための生まれ方をしたのだろうなとか、そんなことだって言えてしまう。


今日のMUSICTRICAL

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