新世界のあたま #351

定期的にHIPHOPのビートメイキングについて興味が湧く。そのたびに、これを俺がやってもしかたがないというところに着地する。

古いブラックミュージックをサンプリングして、再構築し、そこにビートを重ねるというオーソドックスな手法に惹かれる。とくにサンプリングの部分がおもしろいと感じる。もともと楽曲として成立してるものを分解して、まったく別のものに構築しなおしていくという作業のなかで、いちばん大切なのは原曲に対するリスペクトであって、決してテクニックではない。

それこそ「やりかた」みたいなものはいくらでもある。楽器を演奏して作るものではなので、音楽的な知識はほかの作り方と比べるとほとんど求められない。だから飛びつきやすいし、一曲を作るのにかかる時間は劇的に短くて済むことが多い。

だけどその世界にも、たとえば J Dilla Nujabes みたいな、あの音は彼らにしかぜったいに作り得ないという作品が存在する。もちろん彼らの音楽を模倣することは案外かんたんにできたりするけど、HIPHOPのビートをある意味芸術的な位置にまで持ち上げることができたのは、彼らが原曲に対してのリスペクトが異様に強かったということが言えると思う。

曲を作るための素材として原曲を捉えるか、あるいは原曲が生まれるに至った源流とバックボーンごと背負って自身の曲として扱うかどうかには、ものすごく大きな差がある。前者の扱い方で音楽を作る人に対して何の敵対心もないけど、あんまりそれに興味が持てない。たぶんそれは、俺にもできてしまうし、逆に言うと俺がやったところで何か特別なものになるとは思えないからだ。じゃあ逆に後者捉え方でやればいいのかという話になるけど、俺はそれを背負うべき人間ではないと思ってしまう。

じゃあもういちいちごちゃごちゃ言わずに、黙って何もしなければいいのだけど、それらを背負ってやっている人たちの音楽を聴くと、ああ、かっこいい、真似してぇという気分になるのだ。

たぶん俺がちゃんと背負うことができるものが、きっとあると思ってはいるので、彼らの音楽を通して見つめなせたらと今は思っている。


今日のMUSICTRICAL

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