新世界のあたま #322

久しぶりにライブの予定が入りかけて、結局流れてしまった。オンラインで配信ライブばかりしているけど、現場でのライブはコロナ禍になってから一度もしていない。

どんな形で演奏しようかと考えはじめていたころに、イベントごと吹き飛んでしまったと連絡を受けた。この先また現場でライブをする予定はないけど、考えることはつづけている。

最近の自分の傾向的に、パソコンにちょっとしたコントローラーを繋いで、ソフトウェアメインでライブをしているミュージシャンたちの映像なんかを観ていることが多いし、自分が演奏するならそんな形でやりたいと思っている。ハードウェアの機材をずらっと並べて、いかにもそこから音が出てます!というセットで演奏することは、電子音楽に傾倒している人間からするとある種の憧れみたいな気持ちが乗りかかる。パソコンとコントローラーだけというセットは、いわばそれの対極にあるものなので、なんというかちょっと地味に見えやすい。

ただその地味さに惹かれる時期がある。机にパソコンとコントローラーが置いてあって、しかも椅子に座って、それをただひたすらいじっている奏者を、無性にかっこよ感じる。

もともとその時期と、機材をごちゃごちゃと並べている状態をかっこいいと思う時期が交互にやってくることが多かったのだけど、最近はすっかりミニマルなもの惹かれることのほうが多くなっている。

そういえば音楽を聴くときにもその傾向がある。間の多い音楽に惹かれることが多い。音楽の中では、そもそも間が、つまり無音だったり音がとても小さいという状況があまり起きない。

もしかすると、間を待つことができなくなっている自分自身に対して、何かしらの焦りを持っているのかもしれない。間を、空間を煮詰めたようなところから結実する音楽がある。あるということを知っているのに、展開の速さに慣れすぎるとその瞬間に立ち会えなくなるかもしれないという気持ちが、以前からある。その傾向が強くなった結果、パソコンとコントローラーのシンプルな組み合わせに惹かれるに至っているのかもしれない。

ちょっと強引すぎるかもしれない、とも思っているのかもしれない。


今日のMUSICTRICAL

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