音楽のおみやげ

音楽で幸せになってもらう方法。そんなちょっと怪しいテーマで考えごとをしてみた。

たとえば音楽に関係ないところに置き換えて考えてみると、自分に関わってくれた人にプレゼントをあげたり、おみやげを渡したり、こちらが差し出せるものを差し出したりする。もらった方は、それがどんなものであっても、そうとうなチョイスミスをしない限り嫌な気持ちになることは少なく。

それを音楽に限定して考えてみる。音楽のプレゼント、音楽のおみやげ。わかりそうでわからない言葉になる。

誰かに感謝の言葉を伝えたくて曲を作ったとする。それはあくまで特定の誰かに向けたれべきものなので、できれば個人的な形でお渡ししたい。CDにして、ちょっと体裁を整えてお渡しするか。いやいや、今どきもうCDプレイヤーで音楽を聴く人なんて少ない。じゃあデータを送るか。いやいや、それはあまりに味気ない。サブスクで配信するか。いやいや、それじゃもうその誰かに向けているなんてことが言えなくなる。音楽をプレゼントしたり、音楽のおみやげを渡すことがどうやら現代ではむずかしくなっているらしい。

じゃあ時代を考慮せずに、現代でも100年前でも通用する方法はなんだろうかと考えると、すんなり答えが出る。演奏をすることだ。

形を失ってデータになってしまった音楽の元を辿れば生演奏ことだ。たとえその場に無関係の人が居合わせたとしても、誰かに捧ぐものだと謳われた演奏はもう立派なプレゼントだし、おみやげだ。

俺は今もずっとオンラインライブばかりやっている。オンラインライブは、実のところデータの送受信ラリーだ。そんなことはわかっているけど、そういえばインターネットは仮想現実だ。たとえば仮想現実上で会話をしたり、喧嘩したりすることは、もはやコミュニケーションのひとつであると誰もが承認している。

音楽の、とくにオンラインライブの場合は、まだそれを世の中が承認しきっていない。やっぱり現場で聴いてなんぼのもんという雰囲気は強くある。データのやりとりだということを、肌感覚的にみんなわかってしまっている。

もちろん仮想現実上の演奏が、現実世界のものと同じだとは思わない。可能であれば、コミュニケーション同じく、またもうひとつの世界の音楽という承認があればおもしろくなる気がするし、プレゼントやおみやげができるような気がする。ライブの代替ではなくて、仮想現実のライブとして。


今日のMUSICTRICAL

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