新世界のあたま #333
「もしアレだったら」という言葉が好き。「もしアレだったらもう先に行っといてくれててもいいよ」みたいな、アレ。
子どもころ、この言葉の意味がまったくわからず、母に「アレってなに?」と聞いたことがある。たしか母もうまくアレの意味が説明できていなかった気がする。そらそうだと今になってわかる。アレには意味がない。あるいはいろんな意味が含まれ過ぎていて、説明ができない。
海外の言語に、このアレと同じようなはたらきをする言葉はあるのだろうか。日本語は、知れば知るほどものすごく曖昧な表現が多くて、勤勉で時間をきっちり守って行動するという今の日本人のイメージが、割と最近できたものなんだろうなということが想像できる。
きっちりかっちりしていないということが、俺は得意ではないのかもしれない。もしくはそういうものに囚われ過ぎた反動もあるかもしれないけど、俺の作る音楽はきっちりしていないものが多い。
ずっと前から、規則性が掴めないような形で、だけどミニマルにループしていて、抽象的な言い方をすると呼吸するように鳴る音を作りたいと思っていて、最近自分なりに納得のいく方法が見つかって、とてもうれしく思っている。とてもきっちしている音楽とは言えないようなものだけど、俺は音楽的にもそういうものに惹かれることが多い。
楽器をはじめたころ、ベースという楽器の役回り的なこともあって、メトロノームに合わせて演奏するという練習を嫌というほどやった。あまり楽しい練習ではなかったけど、それなりに続けたことを思うと、きっちりと演奏すること自体がある程度性に合っていたのだと思う。そしてその反動として、有機的で規則性があるようでない、ないようである、みたいな音楽に憧れたところはあるのかもしれない。
人と人通しのコミュニケーションのけっこう大きな割合を、意味のない内容が占めていたりする。音楽だって、何かの役には立つものではもともとない。そういう根源的な営みにつながるようなものを、できれば忘れずに大事にしたいなとぼんやり思ったりしている。
今日のMUSICTRICAL
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?