新世界のあたま #323
あらかじめ記録しておいたものを整理したり、管理したりすることが、どうもできない。
定期的にフィールドレコーディングについて考えてみる。環境音をたくさん含んだ音をきれいに掃除して、ライブラリのなかで管理することができればいいけど、なかなかその流れを作ることができない。時間がない、と言ってしまえばそれまでだけど、あとはっきり言ってめんどうくさく感じることが多い。
日ごろ思い付いたことをメモして、そこを出発点としてあれこれ考えると、頭のなかできっかけを考えてそこから考えはじめたときより、遠くに着地できることが多い。なので、いつもそんなふうにできればいいということはわかってはいるけど、メモをとることがめんどうくさかったり、メモしたものを見返して考えを先に進めなおすということに時間を使うことに至らない場合が多い。
それは音楽を作るときも似ていて、けっきょく今から曲を作るぞ!というところを出発点にすることが多い。あらかじめパーツをちょこちょこと作っておいて、それらを組み合わせて作ることができれば、いつもより密度の高いものができるということもわかってはいる。
下ごしらえが大切だということは、なんにでも言えることかもしれない。スパイスやソースをじっくり染み込ませた肉と、その場で塩こしょうだけをぶっかけて焼いた肉にはあきらかなちがいがある。塩こしょうぶっかけスタイルの肉も、うまい。なんならそっちの方がうまいと思う日だってあるかもしれないけど、ただしこれは自分では真似ができないぞと食べた人が感じるのは前者のほうだ。
科学と化学がちゃんと存在しているものの方が、結果的に強かったり重かったりする。俺が扱っているような音楽の場合、自分なりの科学が作品そのものの重みになることが多い。
ただし、今こんなふうに思えるのはこの2年くらいのあいだに散々即興をやってきたからだと思う。そう捉えると、次のステップに進まねばならん時期だということと、あとそのための方法はやや見えつつあるとklろまでは来ていると言ってもいいのかもしれない。
今日のMUSICTRICAL
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