新世界のあたま #363
この1年くらい、作る音楽のほとんどを自覚的に自分自身に向けていたと思っている。誰かに評価されたいと思う気持ちはもちろんある。あるけど、なかなかそこに届かせることができないので、もういっそのこと割り切ってしまって、ただひたすら音を作り続けることにした。この1年くらいを振り返ってみて、そのある意味で開き直ったような考え方がものすごく強まったように思う。そしてその状態で、ただ自分のためだけに音楽がやれてることに、多少の誇りみたいなものを持つこともできたような気はしている。
誰でもリリースできる時代になった。ボイスメモアプリで録音しただけの音源を、Spotify で配信することだってできる。YOASOBI や King Gnu たちと同じ場所に音源を置くことができる。考え方によっては、もう誰もがメジャーデビューできる状態にあって、逆に言えばデビューするという概念自体が崩壊してしまったとも言える。
かつてミュージシャンたちは、まずは自分たちの作品を流通させること自体を目標に掲げた。それと同時に、流通さえさせることができれば、自分たちはプロとして、音楽家として生きていくことができると信じていた。それ自体はそもそもまちがっていて、そうかんたんなことでもなかった。
流通させることに対する敷居が完全になくなってしまったということで、どうやったら自分の作品が誰かのところに届くのだろうということを、個人が考えるようになる。そして俺はこれを無視してきた。
はじめから無視したわけではない。考え方がほとんどわからなかったのだ。ない頭を使って、気合いを入れて投げたつもりがぜんぜん前に向けて飛んでいなかったり、明後日の方向に飛んでいたり、そんなことばかりをしていた結果、考えること自体が嫌になってしまっていた。だけど音楽は作りたいし、俺なりの研究を続けたいと思っていたので、じゃあもうそうする、となったわけだった。
だけどここ数日、ほんとうになんとなく外に向けたい欲が湧いてきた。もしかすると魔が刺しているだけのことかもしれない。この種火みたいな気分は、ちょっと大事にしないといけないと自然と感じている。どうせまたすぐなくなってしまうのは、たぶんまちがいないので。
今日のMUSICTRICAL
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