音楽的財産

ひきつづき歌もの曲の演奏を練習している。ギターのフレーズがまだ定まり切っていなかったので、形を整えつつ、弾きながら歌を歌う練習と、あとはシンプルに歌を練習する。

ちょうど10年前の今ごろ、生活のほとんどを賭けていたバンドはなんとかミナミホイールに出演できて、それなりの成果が出たところで俺は脱退した。それ以降俺はバンドマンではない。

バンドマンは頻繁にスタジオに入って練習をする。ライブのために曲を仕上げ、目をつぶっていても演奏できるくらいまで曲を身体に落とし込む。そんなことをなんの違和感もなくライフワークとしてやっていた。今はそれがない。なくなっていた。

そこまでの練習量ではないにしても、近ごろ夜な夜なやっている練習はそれに少し近い。感覚的に、そのころやっていた練習と似ている。一人でやっているが、バンドでやっていたころの気分と近いものがある。懐かしいし、おもしろいし、ほどよくめんどうくさい。

練習は、曲作りとちがって成果が出やすいので気が楽だったりする。同じ音がを扱っている時間なのに、使っている脳の部分がまったく違う。言ってしまえば、うだうだ考えながらやるかやらないかを考えているくらいなら、手を動かしたほうがよっぽどいい。

ようやく一曲が仕上がりそうだ。この感覚すらなつかしい。ライブはこの10年のあいだにもたくさんやってきた。ということはずっと練習不足だったとも言えるし、俺が自然と即興演奏みたいなものに流れてきたことに対して合点がいく。辻褄が合う。

仕上げるべき曲が、現時点で4曲ある。仕上がればこれらは明確に俺の財産になる。そんな気持ちで取り組んでいるし、これはどんどん増やしたい。著作権や原盤権はこの部分を補完しない。そういう意味で、カバーもコピーも誰かにとっての財産になりうる。ミュージシャンにとって、音楽は貨幣の種ではない。曲こそがすべてだと、ぼんやりと言える。

財産があれば世界に手を伸ばすことが容易になる。それは貨幣だろうが、音楽だろうが一緒だ。あればあるだけ自由が増える。持たなければわからない世界がきっとある。音楽はやり方次第でコストをあまりかけずにできるから、コスパは抜群だ。


今日のMUSICTRICAL

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