新世界のあたま #327

ひさしぶりにベースのレコーディングをした。レコーディングと偉そうに書いてはみたけど、自分たちで作っている自主制作音源での話。

俺はむずかしいフレーズを弾くときなんかに、身体に力が入りすぎて、こんな風に演奏したいと頭のなかでイメージしたものが最終的に弦を振動させる指にまで届き切らず、指が先走って動いてしまう。人によるとは思うけど、俺の場合は音が突っ込み気味になってしまう。

指を正しく動かさねば!という考えみたいなものが、俺のイメージしたタイミングとズレてしまっているわけだけど、この考えがどうしたって必要になることはある。まだ考えなければ、身体に対して動け!とコマンド入力ができない段階はどうしたってそうなる。

自分自身の身体を使っているのに、俺の意識はエントリープラグの中にいるようなものだ。たとえば歩け!とか、息を吸え!みたいなことは、俺の意識と俺の身体のシンクロ率が仮にゼロだったとしても、できたりする。俺たちの身体には、俺の知らない意識が宿っていて、俺を動かすことができるシステムになっている。

楽器を演奏するということは、人間が生きていく上で別に必要がない能力だ。だから身体側の俺、すなわち身ちゃんは、急にはそれを弾きはじめることはできない。ただし身ちゃんはたいへん優秀なので、一度記憶するとなかなか忘れることがない。なので俺は身ちゃんにやり方を一所懸命教えてあげるだけでいいのだ。

身ちゃんは言語を持たない。じゃあどうやって記憶するのかというと、反復練習だ。最近とくによく思うが、反復練習ほど効率のいい練習方法はない。なぜなら、前述のとおり身ちゃんは一度記憶したことをなかなか忘れないからだ。俺たちは憶えたと思ったことを、いともかんたんに忘れる。忘れるための機能が備わっていると言ってもいいかもしれないけど、両者にはその点でかなり大きなちがいを持っている。

指の力を抜くといい、と言えばそれまでの話だけど、そんなかんたんなことじゃない。憶えるのだ。頭で理解する憶えたという捉え方は、ただそのことを認知したということ過ぎない。俺たちの頭は、極論大してものごとを憶えていられない。だから、指がそれを憶えて知っている状態にするのだ。


今日のMUSICTRICAL

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