新世界のあたま #350
昨日、誰かに何も求められているわけではないのに、自分のやりたいことを勝手にやっているだけで俺は今とても忙しいと書いてから、忙しさについて考えている。
俺の忙しさはただの幻想だ。現代日本人はとにかく忙しいけど、考え方によっては、ちょっと強引だけどあれはすべて幻想だということも言える。
悪い意味でに忙しさに埋もれてしまうと、余裕を失ってしまって、何かを挟み込む隙間がなくなってしまう。たとえばそれは、今の生活にこれ以上の何かを挟み込む隙間を作り出すことすらできないとはじめから決め込んでしまって、そもそも何かをはじめてみたいと思うことすらなくなるみたいなことに繋がる。
今現在の生活に詰め込まれているタスクを配置しているのは、紛れのなく自分だ。つまり、自分以外の誰かがそこに何かを持ち込んでくるようなイレギュラーなことが起きたときに、反射的に拒絶反応を起こしてしまって、たとえばイライラしてしまったりすることが起きる。
もしそれがすべて幻想だったとしたら。現実的に忙しかったとしても、自分自身がそれが幻想だと思たら、気持ちくらいは救い出せるような気がする。
俺は夜な夜な忙しそうに音作りをしている。このときの忙しさは、俺の精神を削るものではないけど、睡眠時間を削るほど忙しくする必要のあることかどうかはわからない。ただ、俺はそれを必要としている。客観的に見れば「いや、寝ろ!」となることだと思う。
もし俺がある日突然、音楽を作ることについて必要性を感じなくなったとする。俺はひとつ忙しさを解放することになる。それは俺にとっていいはたらきをするものか、わるいはたらきをするものかどうかは、実は俺にもわからない。忙しさとは、たぶんそういう今の俺が信じている神様みたいなものなのかもしれない。
明確に解放しておいたほうがいい忙しさは、たぶんある。心の隙間はぜったいに作っておいたほうがいい。ピンチもチャンスも、今の自分にとっては確実にイレギュラーなことだからだ。
今日のMUSICTRICAL #350
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