新世界のあたま #332

朝起きるのが苦手だ。すべての事柄のなかで、それが最も苦手だと言ってもいいくらいだ。こどもころからずっとそうで、それから36歳になる今まで得意になっったことが一度もないことを思うと、もうこの先ずっと苦手なまま生きることになると覚悟してもいいくらいだ。

そんな俺が朝6時ごろ起床する生活をこの数日間行なっている。すばらしい朝がきたと、美しい太陽の光を浴びながら爽やかに目覚めるわけでは決してない。起きなければならないという俺に意識と、もしかしてもうこのまま生涯を終えるつもりででもいたんですかと尋ねたくなるくらい重くなった肉体をゴリゴリとすり合わせる。意識はだんだんと削れていくが、肉体はまだ余裕をぶっこいたまま凍りついていやがる。一日のなかで紛れもなく最大値の出力で意識をブーストさせ、「動け動け動けー!」とさらに削っていくと、ようやく肉体は再起動する。よくもまあ毎日毎日ここまで昨日までがなかったかのように生きることをやめられていたなと思うくらい、重い肉体を持ち上げて起き上がる。

ここまではただツラいだけの話だけど、俺が言いたいのはそうじゃない。ここまでをフリにして、目覚めたあとの早起きのうれしさを書きたい。早起きがどれくらいいいものかというと、今この分はまさに朝6時台に書いている。誰かに切望されているわけでもないこの勝手なエブリデイ締め切りルーティンは、割と書かなくては!書かなくては!あー、時間がない!書かなくては!の連続だった。それが今、6時台に終わりを迎えようとしている。それくらい朝早くから動きはじめた俺は機嫌がよくなってしまっている。なぜ誰も教えてくればかったのだ、早起きがこんなんにも清々しいもにであると。

早起きは三文の徳だという言葉は、ぜったいに早起きが苦手な奴が考えたのだと思う。朝が得意な奴は、起床するという当たり前の営みに三文たりとも見返りを求めるはずはない。わざわざ言葉で奮い立たせる必要があるのは、早起きが苦手だった証拠だ。

現時点で2.4文くらいの徳を感じている。最低でもあと0.6文くらいの徳を探そうと思っている。


今日のMUSICTRICAL
今日のはすごく手応えがある。
ずっと作りたかったような音。

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