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ふとしたタイミングで自分のインナーチャイルドに気づく(ポジウィル養成講座受講中、個人的番外編)

ポジウィル養成講座で、「インナーチャイルド」の概念について学んだ。

インナーチャイルドは誰しも持っている可能性があるということだったが、今までを振り返っても、講座の中で触れたような、幼少期に親や周りからそこまで強烈な影響を受けた辛いエピソードや体験もなく、トレーニングを受けていた際も、ないなあと思っていた。

養成講座で、復習も含めると、約2週間にわたってインナーチャイルドという概念に向き合う中で、改めて、本当に自分にはなかったんだろうか?ということを考えていた中で、ふと「あるのでは?」ということに気付かされたので、忘れないうちにメモっておきたい。

**注意** 以下、本当に個人的なこと&個人的解釈ですので、不快な方は、読み飛ばしてください。


気づいたきっかけ

家で、父と二人でリビングでテレビを見ていた。
私は、そこまでテレビの内容に興味がなかったので、スマホをいじりながら、テレビの内容は耳半分で聞いていた(まあほぼ聞いてなかった)。

その時の親子の会話の流れとしては、こう。

(TVの内容について)
私:「え、◯◯ってこうだったの??」
父:「違う、◯◯だって今言ってただろ、何を聞いていたんだ、それで普段どうやって生活しているんだ」(無駄に大声&怒り口調)
私:「・・・」

自分の主張と、どう感じたか

・自分としては、特にテレビの内容を真剣に聞いていたわけではない。
・それなのに、謎に威圧的な大声で怒り口調で、返される。
・しかも、最終的に、「テレビの内容をよく聞いていない」→「普段の生活もなってない」という一般化(?)されて返ってきた
言われた側としては、どうしてそこまで言われなきゃいけないんだ💢とブチギレの感情と、「自分ができない人間であることは自分がよくわかっている」ので、そこを言われた悲しさもあって落ち込む

補足

父は、元々そういう口調&言い方をする人で、上記は本当に怒っているわけではなく、(多分)彼なりのコミュニケーションである。(知らんけど)
小さい頃からの父→娘への叱りなども同じ。
そしてそんなに褒めないタイプ

窓の鍵をうっかり閉め忘れた時は、
「なんで忘れるんだ、だからダメなんだ」とか、
なんで怒られたのか忘れたが、
「なんで◯◯なんだ、そんなんで仕事ができるのか
とか、そういう言い方。

特に相手を傷つけようとか意識せず発言していることはわかっているので、娘としては(娘だけでなく家族全員が)正直もう慣れっこ。
もはや「こういう人だ」と諦めている笑(ので、インナーチャイルドとしても認識しておらず)

が、昔は、結構傷ついて辛かったし、今も自分が落ち込んだり、少し気持ちが下がっている時に、言われると、悪い意味でめちゃくちゃ心に刺さってしまう。

また、今でこそ、「一般化されてむかつく💢」
と言える位まで落とし込めているというか、「なぜ自分がこう言われるとこんな感情になるのか」というところまで落とし込めているが、小さい頃は、それすらも分からなくてただただ悲しい気持ちでいっぱいだったな、と思う。

そういえば・・・振り返ってみると・・・

幼少期〜大学生くらいまで

・怒られている上に、
「わたしって何もできないんだ」、「わたしはこんなこともできないダメな人間だ」という意識を刷り込まれていた気がする
→今でも、この意識は抜けてない
(いや、実際できるかできないかって言ったらできない人間なんだけども・・・)
・言われた時は、めちゃくちゃ泣いてたか、黙ってた

自分のやることについて、今思えば、特に父の顔色を伺ってたかも→なぜかというと、父が「規定ルール」で、あんだけ言う父が褒めてくれる、認めてくれるものだったら、それはきっとものすごく素晴らしいものだ、ということを無意識に思っていたから?

・希死念慮も常にあったタイプなのだが、これはどこまで父の影響はあったかは分からないので、割愛する。

社会人以降〜

・仕事がうまくいっておらず、自分でも「なんて自分はできない人間なんだろう、死んでしまいたい」とか思っていたタイミングで、些細なミスで、「なんで◯◯なんだ、そんなんで仕事ができるのか」とか言われた時、「なんでそんなことを言うんだ」と大号泣&ブチギレを父にかます。
(まあ、社会人になっても怒られるのもどうかと思うが、ほんと些細なことだったので)
大人になってから、やっと「怒り」の感情を示せるようになった気がする

あと、「親の顔色を窺っている」ということに気づいてなかったけど、無意識の反抗精神(?)が働くようになったな、と今なら思える。

例えば、
・なんだかんだ過保護に育ったため、危ないことなどは反対されることが多かったが、一人海外旅行を決行→もちろん、行きたくて行って楽しかったのだが、一方で、反対されても、「自分の意思」を守った!言いなりではない!という達成感も得ていたのかも。

現在

・今でも、父の発言には時たま傷つくけど、発言自体には深く考えないようにしようと思えるようになった。
・でも、転職活動は、もし自分の選んだ企業がボロクソ言われたらどうしよう・・・という気持ちも抜けきれないし、否定されるのは嫌なので、何も相談しないようにしよう、と心に決めている笑

振り返って思ったこと

マイナスだけど、マイナスがプラスに転じることもあった

結構、何かを始めるきっかけとか源泉とかの中には、
こんな自分でも任せてもらえることがあるのか」→頑張ろう!
こんな自分でも選んでもらえた」→頑張ろう!
というフレーズが入ってくる。これは今でもそう。

改めて整理してみると、「うわー、結構影響してるじゃん・・・幼少期からの刷り込みって怖っ・・・」って思って、ちょっと背筋がゾッとしてしまったが、

でも、根本はマイナスでも、「なにくそ」精神に近いもの、というか、自分に対する自分への期待値が元々低いからか、「自分をもっと価値のあるものにしたい」という感情が強く働くので、意外にプラスに転じて成果を出せることもある。

こういう部分は、感謝してもいいのかもしれない。

妨害者ワークでは、「優等生」タイプが最も高かったのも、この辺りが少し影響しているかもな?

じゃあ何が正解だったんだろうね、って話


正直、気づいてしまった時は、「こんな自分が〜」とか思うのは、「お前が要因かい!」と大ツッコミを隣に座っていた父に、心の中で静かにしていた娘であるが、
ほんの些細な日常の積み重ねでも、めちゃくちゃ子供に影響するんだな、と思うと、子育てってものすごく責任重大だな・・・と改めて思った。
(まあ全部が全部親の影響でないとしても)

ただ、「私」にとっての、「親からの接し方の正解」ってなんだったんだろう、と考えたとき、特に正解は見つからない

この親ありて、私あり、みたいな感じなので、いいところも悪いところも客観的に受容して、時に反面教師にしながら生きていくことが大事なのかなと思う。

少なくとも自分の子供に同じような思いはさせません笑

散々けなしましたが、父のことは大好きです笑


上記で散々、お前のせいだという感じで書き連ねてしまったけれど笑
父のことはとても尊敬しています。

人には言うが、その分自分にも厳しい人で。
勤勉で真面目だし、(母には言っているかもしれないけど)これまで泣き言や弱音を吐いたところを見たことがありません。

ガミガミネチネチ言われて、イラッとしたこともあるけど、大人になって、あの教えはありがたかったなと思えることはたくさんあります。

尊敬しているからこそ、その分期待に応えたいという思いが子供にはあるんだな、ということですね。

普段あまり褒めることのない、父からの数少ない「褒め」は、幾つになっても鮮明で、忘れない記憶だと思います。


というわけで、
「父、登場させてごめんね、ありがとう、これからもよろしくね」
という気持ちで締めたいと思います笑



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