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湯切りキツ目で、の話。

湯切りキツ目で、の話。

湯切りといえば、ラーメンの、あの麺ざるを持って「チャッ!!チャッ!!!」とやるあれだが、私が以前働いていた油そば屋ではその店の湯切りの流儀があり、「この状態で何秒保持して、こうなったら上下にこうやって振って湯切りせよ」というマニュアル、というか教えがあった。

天空落とし、みたいなことをやると、せっかくふっくら茹で上がった麺が重力とザルで潰されてしまいナンセンス、というのがそのマニュアルの要諦だったように思う。

確かに雑なバイトとかが粗雑にじゃじゃっと湯切りしたものと、熟練のバイトや社員の「油そば研究家」みたいな人が腰から落として丁寧に正しいフォームで湯切りしたものとでは全然麺の食感が違い、油そばというミニマムかつシンプルなジャンクフードでもジャンクフードなりに、作り方の美学があるものだと感心したのだった。

で、表題の件だが、「湯切りキツ目で」である。

そのお店では食券を受け取る時に油の量やタレの量、そして麺の硬さのカスタムを受け付けていたのだけれど、そんなことを言われたのは初めてだった。

なんかすげえドヤ顔で「湯切り、キツ目で!!」と言い放ってきた彼に対して「なに『湯切りキツ目で』、って?」と思う気持ちを、当時からその店の厨房ではデフォルト装備だったマスクで押し隠しながら、まあ、言われた通りにやってみたのだった。

まあ、ちょっときつめで湯を切ればいいのだろうと思い、いつもよりちょっと長めに間をとって湯切りを試みたのだけれども、その丼を供してから彼がその丼に酢とラー油を注ぎ、入念にかき混ぜてから頬張った一口目、彼の顔によぎった「なんか(湯切り)ユルくね?」という憤懣の表情を、私は見逃さなかった。

ただでさえなかばヤサぐれながら働いていたので思わず「なんだお前!!」と言いたくなるのをグッとこらえ、「湯切りキツ目で」というその言葉の意味を、何度も何度も反芻しながら麺茹で機の中で沸き立つお湯を見ていた。

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その頃週3くらいで夜勤のシフトに入っていたので、件の「湯切りキツ目で」のお客さんに再び出会うまでに、さほど時間は掛からなかった。

入店してきて人数を尋ねた時点で「来た来た来たアイツだ!!!!!!」と思う気持ちを例によってマスクで隠し、満を持して食券を受け取る。

彼の「…湯切りキツ目で」という言葉を聞くか聞かないかで、マジックでその食券に「キ  ツ」と殴り書いた。

やってやれねえことはねえ。

数分が過ぎ、タイマーがなり、麺ざるを湯から上げ、そのままの姿勢でじっとザルを見ていた。

私はまだ湯切らない。

しばらくして盛り付け担当のファインさんが異変に気が付き、「マツモトサーーン、何やってんだよぉ、麺がカピカピになっちゃうよぉ!!!!」と慌ててザルを引ったくろうとするのを左手で制した。

新撰組で、総長の山南敬助が切腹する際「声をかけるまで、待つように」と言い残したというエピソードがあるが、大体あんな感じである。

この湯切りは半可じゃいけない。

訳もわからずトングでチャーシューをつかんで心配そうにスタンバイするファインさんを横目に、私はザルを上げ続けた。

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「ふわっ」とかじゃなくもはや「ゴロンッ!!!!!」という擬音よろしく丼に転げ落ちたそれは、麺というかもはやボールだった。

高校の体力テストでこれくらいのボールをぶん投げた記憶が蘇る。

50mを超えたので他のクラスの人も褒めてくれた。

「ああもう、カッチカチだよぉ!!!」と不安げにチャーシュー、メンマ、そして仕上げの刻み海苔をトッピングするファインさんとは裏腹に、「これくらいやれば文句ないだろ」と、私の心は晴れやかだった。

届いた丼を前にして、明らかに以前と比べて麺のコンディションが異なり、かき混ぜるのにも苦心していたが、彼は注目の一口目を頬張ると「そうそう、これこれ、ここの油そばは、湯切りキツ目なんだよ!!!」と、連れの男に嬉しそうに微笑みかけていた。

その微笑みを目にして「何言ってんだお前」と、思った。

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