ヨシトさんの作品
今回読ませて頂いた作品
読解
クリスマスを待つ街並みがある。
ウスバカゲロウとは蜉蝣(ふよう)の一期。
つまり、短くはかない人生のたとえであり、その美しさと儚さを含む虫の翅に、一日限りの太陽の新生を祝う冬至祭と、薄く淡い光を灯すステンドグラスのような光の透過を見ている。
影絵からは人形劇のような幼さと可愛らしさが感じられる「星が降りてくる」からは、ツリーの飾りや、雪が舞い降りてきらきらと輝く情景が広がる。街の雑踏。乾いた空気に混ざる聖夜のたたずまいに、装飾が施された宝箱のような煌びやかな幻想風景と、肌寒い街の光と影が垣間見え、星彩に満ちた霜夜の表情と同化していく。
鱗粉を散らし宙を舞う蛾を、点々とちりばめられた星々の輝きにみている。モノクロは夜と無声映画のような静けさと、静寂の中に紡がれる歌(物語)を意味している。
粒子はスターダストで、花びらはコスモス。つまり宇宙だ。夜(影絵)の街を往く一つの孤影は、宙にたゆたう銀細工の蛾と同じように夜の帳に包まれている。大向こう(舞台正面の立ち見席にいる観客)の人影がぽつねんと輝く星に親しみを持っている様が伝わる。個であり全。様々な視座で澄み切った夜の星をみている事が伺える。
穿たれた点から黒紙のざらついた夜をすりぬけて太陽の色(蜜)がこぼれている。
「ストロー」と「凍りついた光を」は、人の手の及ばない星(蜜)を見上げて物思いの羽を伸ばす白蝶のような存在を連想させる。人間と蝶を結びつけていて、暗闇の中でおよぐ蛾(星)と蝶(自己)の親和性を見つけようとしているのかも知れない。
男女の関係ではない、睦言(蜜語)のような粘性をもたないさらりと流れる向日葵(彩層)の余滴がある。前の連との関係性から鑑みるに、この「甘さ」とは幻想的な温もり。冷めきらない夜の街と地続きに日常があり、影に咲いた花(光)に、月光を浴びた素肌に、静かに波打つコップの湖面に、様々なものに色をうつし、混ざりきらなかった角砂糖のように小さな光を残している。
「光の望む歌」は、誰の口からも漏れない歌だ。街の飾り付け、気の早いクリスマスソング。それぞれの記憶の中にある聖歌。概念の中、街と家路の間に鈴の音が響きそうな非日常を装う電飾。それらの余韻の中に静かな歌がある
誰のものでは無いとは、言い換えれば誰の所有物でもないが、だれしもが天体の輝きを観測し、その光の残滓を胸中に収める事が出来ると言う事。寒空の下、見上げる星と人は見えない線でつながれているのだと優しく教えてくれるような詩でした。
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