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【GPT】「ツールへの評価は自己への評価かも」という戒め
先日「ChatGPTによる校正便利だよね」という話に触れたのですが、
一方で、やはり手放しでの利用というか、過信はできないなぁ、と。
さいごの責任は自分にあるのだな、と改めて認識。丸投げはいかんよね。
先日書いた雑記も、いつものように誤字脱字誤用の抽出をお願いし、いくつかのタイポ等を発見してくれまして。
これがありがたいのは間違いないのね。
ほんで修正しまして。
改めてその文章を眺めていると、出るわ出るわ。修正箇所。明らかな誤り。(「出るわ出るわ」は盛った)
うーん。そうかー。
こういうとき、脳裏に浮かぶのが
「だからAIはまだまだですよ」「GPTはこんなもんですよ」的な声。
実際にこういうこと言ってる人がいる、という具体例は挙げられませんので、ぼくのイマジナリーご意見かもしれません。
確かに今回の指示に対して、GPT先生の回答に漏れや抜けがあったのは事実。
これに対する回答は、GPT4oの性能ではなく
「やっぱ使う人間側の知識とスキルが不足しているとダメだな」
と、ぼくは思うわけです。
この件で改善できそうなものとしては、
・プロンプト(指示の出し方)を見直す
・さらに改善に向け、対話を重ねる
あたりがすぐに思い付くかな。
(なにこれ、部下に指示出しする上司の話?)
上の二点はいずれも、
AIを使う側が「どう使うか」の知識とスキルがあれば、ある程度どうにかなる話ですよね。
このあたりはいわば初期対応の段階ですが、このあたりの問題でAIやらGPTやらの優劣を語るのは、さすがに。思うところがあるかな。
どうだろうな?
必要なのが本人の知識とスキルであるならば、
使い続けて経験を積む必要を感じるし、関連書籍や記事に触れることで広く学んでいくのも大事なのです。
その昔、ぼくがはじめてAdobeのIllustratorに触れたとき、
「あぁ〜クッソ使いづらいんじゃぁ〜!!」と悪態をついたものです。
独特のクセがあるんですよね、イラレ。「コンパスと三角定規で動物の絵を描け!」ばりの違和感があったのです。なつかし。
いまでは落書きやら見出し画像、お店のPOPやレイアウト図、何作るにも必須のツールですからね。変わるもんです。
ChatGPTをイラレと同列で取り扱うのはいろんな語弊を生むかもですが、
使っていく人間側の視点としては、ある種の共通点があるかもな?というね。
はじめてのツールに触れる際、既存の経験やスキルが通じないのはよくある話。
作品ひとつ造るのに手間も時間もひどくかかるし、そのうえ完成度もクッソ低い。
そりゃそう。知識も経験もないのだから。
使って使って、慣れ親しんでいくうちに、そのツールに関する理解が深まっていくワケです。
ツールに対して正しい評価をしたいなら、ある程度の知識とスキルは欲しいところ。
それが不足したまま非難否定をしても、「それはあなたが使いこなせてないだけでは?」と思われてしまいませんか。
それはひどく残念に思えます。
ただでさえ、AIは怒涛の技術進歩の真っ最中。
今の時点で断定的な評価を下すのは、さすがに早計かなーって。
2023年に発行された書籍が、すでに「過去の情報」となっている実情ですからね。ほんと、めまぐるしい。
必死にこの流れに付いて行き(あるいは、器用に流れを乗りこなしていく)、
変化し続ける現状を適切に、冷静にとらえることが。
正しい評価には必要なのかなと思います。
かしこいひとに、なりたいもんです。
何かの批判をするということは、自分もまた批判にされること、なのじゃよ。ほっほ。
むずかしいね!!