相手の『区別』は大切。本当に。
優しい言葉は人生を狂わせる。
優しい言葉って相手を思いやって生まれる。
どんな考えだったんだろう、どんな環境だったんだろう、知能のレベルはどれくらいあるんだろう。
自分のことは自分が一番理解できている可能性が高い。相手から指摘を受けて感心することもあるけれどもそれはやはりそれは一部分。
全部を理解するのは自分自身でも難しいのに自分以外の視点から理解するなんて無理。
周りからの優しい言葉が自分の人生を狂わせる。そう思ってます。
せっかく反省したのに『優しい言葉』が反省した量を減らす。
せっかく、やっとの思いで動き出したのに『優しい言葉』がそのスピードを減少させる。
特に意味もなく行った行為に『優しい言葉』がその行動に意味を発生させる。
『優しい言葉』を振り払う行動が必要になってくる。
いや、別に話かけんといてくれ、そっとしといてくれってそんな極端な話ではなく。
『こういう場合は少し遠くからそっと見守るのが正解だよ♪』っていうシーンあるじゃないですか。アレの内訳はこういうことだよって話。
子育てでも、子供が何かやらかしました。で、この事件の終わりは『子供が反省しました。』で終わりなんよ。
相手への謝罪なり、心のキズのケア、賠償。色々と器の小さい奴らがピーピーギャーギャー言うけれども、子供が反省したら終わり。
子供なんだから。
もっと言えば年齢も関係ない。
40歳だろうが大人になる経験をしていなかった環境があったなら『反省したら終わり』でいいよ。
1度も自転車に乗ろうとした経験がないなら、60歳だろうが40歳だろうが最初は乗れない。
時間が大人にしてくれるなんて大間違い。役職持ってるガキの方が多いだろ?
で、しでかした子供の方も『反省したからこれで終わり』を周りに求めるな。
『事件を起こしたら自分の想像の範囲内以上の賠償を求められることを覚悟しろ』。
で、そういう現実を受け入れられたらそれが『反省』。
『なんでもやります』これが『反省』。
『なんでもやります』なんて言うとその反省に乗っかって『やりすぎるヤツら』が出てくることも確か。
でも『やりすぎるヤツら』を視点に入れていたら『反省』はできない。
わかるかな。『悪に乗っかって、やりすぎる器の小さいヤツら』と『器の小さいヤツらを視点に入れて反省がしきれない器の小さいヤツら』が世の中を歪めている。
器の小さいヤツらは周囲に『ママ役』を求める。
正義側は悪側に『◯◯してくれ』。
悪側も正義側に『◯◯してくれ』。『すべき』。
『優しい言葉』もそう。
アナタを想って言ってるのよ、を『理解してくれ』。
アナタに優しい言葉をかけられる側の人間だということを知っておいて『くれ』。
優しい言葉を受けた側になぜか仕事が1つ増える。
人と人の間には基本、『優しい言葉』は必要ないことを知っておくと良いと思う。
『よく考えて』『決めろ』これだけでいい。
アドバイスなんかもする必要ないです。
相手から強く求められない限り。
人は勝手に経験値を積んでいきます。
人には『ママ役』は必要ない。
まぁ、『要らない!』って強く拒否するほどでは無いけど、振り返ると絶対必要!って言うほどでもなかったという『人』が大半だと思う。
悲しいというか冷たい感じがするから表だって言う人はいないだけ。
逆に『虫な人』って成長しないからずっと子供のまんま。
コントロールができない。
だから虫が持つ『習性』と同じように繰り返し続ける。
『今回のは前回のと違う!』と言いながら繰り返す。
人間とは遺伝子的にそうできてるんですぅってエビデンスバビデンスを宝物のようにフンコロガシしながら繰り返す。
こういう『虫な人』には『優しい言葉』で『その場を流す』ことが必要。
そうやねん。
『優しい言葉』って『その場を繕う』って臭いも含んでいて、それはちゃんと、のちに『人』に成長して『大人』に成熟していく『子供』にはちゃんと伝わってます。
相手が『虫』なのか『人』なのか。
『人』には『優しい言葉』はかけない。
せっかく本人は反省しているのに。
反省したからといって次はもう同じ過ちはしないかというとそうではない。
でしょ?だからその時も『優しい言葉』をかけない。『少し』離れて『見守る』。
相手が『人』なら20年くらいかけて『成長』します。
相手に『人』であって欲しいのか、『人』になって欲しいのか。
『相手によって』ちゃんと選ばないといけない。
区別をつけないと。
『優しい言葉』をかけるのかかけないのかを。
もう1つ言うと『人』ってママに『優しさ』を求めてない。求めるどころか、そんなこと考える余裕もないくらい強い光みたいなものを『ママ』から感じ取ります。
まぶしすぎて『優しさ』が目に入らないくらいのまぶしい光。
なんだと思います?ってかだいたいわかると思います。そう。
『強さ』。
ママが優しかろうが冷たかろうが『強さ』を強く感じとります。
ママが居なかった人も先輩や後輩、上司やら部下、『実際に出会った人』から『優しさ』なんかよりも『強さ』を感じ取る傾向があります。
で、そういう『強い人』にはたくさん会う必要はゼロです。1人いれば充分。1人で充分なんです。
あれが必要これが必要あーなるかも知れないこーなった場合5選とかいう情報必要ないです。『人』には。
ネットに植え付けられた『常識』を剥いでいって下さい。『人』でいたいなら。
たぶん15層ぐらいこびりついてますよ。
あれも要らない、これも要らないって今、1枚1枚こびりつけられた『常識』を剥いでいってみて下さい。そう。1枚ずつ。ゆっくり。うん。
あと8枚。そう…。最後まで剥げました?
常識なんてなくても反省しながら生きて行けるんス。で、聞いてみます。
今のあなたに『優しい言葉』なんていります?
要らないでしょ?逆に『強さ』という光を欲してませんか?そうなってくると更に『優しい言葉』が必要じゃなくなってきませんか?
それでも『優しい言葉』が必要だ!『優しい言葉』をかける自分を正当化してしまうならあなたは『虫』です。成長しません。知識だけの頭でっかちです。言い切ります。そういう虫とたくさんであって経験してきました。
バカにしてるわけではなく。成長って『しないとダメ!』というものではありません。
逆に虫であるならば『成長しなければならない気がするッッ!』ってプレッシャーに押し潰されそうになっているはずです。
止めた方がいい。そのままの方が楽しめます。
『人』も『虫』も自分で望んでる以外のプレッシャーには弱いです。
自分がどういう種族なのかはちゃんと区別して生きた方がいい。
新聞を持ってきてくれる『犬』に『夕方の6時になったら新聞を持ってきてくれ』と言葉だけ伝え続けるのは『虐待』です。犬は期待に応えたい一心で精神を病ませます。
自分が『人』なのか『虫』なのか。相手が『人』なのか『虫』なのか、その区別は人生には必須です。今商談してる相手は『虫』なのか『人』なのか。話しかけてきてる人は『人』なのか『虫』なのか。
例えば、『聞き上手』のやり方、ネットに出回ってますよね。アレ、『人』にやっちゃダメですよww一発でアナタが『虫』だと思われますwwアレは『虫』が『虫』に対してする効果のある方法です。本当に効果があるので詐欺師が後輩たちに教えるために言語化された情報ですwwその話はまたいずれ機会があれば。
ともかく言葉の認知は違っても、『区別』に似たニュアンスを『人』は必ず持ってます。でもこの情報は出回らないんですよ。
なぜなら言語化に時間がかかるし、そもそも理解できてる『人』に話しても意味がないし、『虫』には理解ができない。
受け入れないことを正当化する。
話しても意味がない。
虫は『議論』に大半の人生を費やして生涯を終えるんでね。その時間に巻き込まれるだけなんです。
その、ほんとバカにしてるんじゃなくて、ほんまにそうやねんって。
だから『話を聞いてくれるママ』をよく探してるし、『話が長い』。
議論に時間費やしてるから五年経っても人生変わってないし、また『議論』してる。
で、それでええねん。
『虫』にとっては『変わらない』のがええねん。虫にとって成長はストレス。寿命が縮む。
『変わらない』を前向きにやったら?ってアドバイス。これがまさに『優しい言葉』なんですよね。
だから相手が人なのか虫なのかの区別は大切。本当に大切やねん。
『人』は『人』の上にも下にも『人』を作らへんねん。そもそもこんな言葉創る必要ないねん。『人』ならすでに理解してるから。『虫』に、まだ『虫』である状態の『これから』がある子供や大人に向けてつくられた言語化された文章。
『虫』は『下』を一生懸命探して見つけたら捕まえる。捕まえて『10年間変わってないように見えるこんな私でも少しは経験していてあなたよりも上の部分がある』ことを一生懸命ママに聞いて『もらう』聞く『べき』みたいな作業を繰り返す。
だからこそ、自分が『下』に見られる相手の行為を嫌う。『虫』の世界だけです。上だの下だの正義だの悪だのが存在しているのは。
本当に相手の区別は大切。いや、あなたが『人』でありたいなら『差別』だか『区別』だとか、そういう『常識』はさっさと剥がしてねww
言葉って伝わればなんでもええねん。
何使ってもええねんで。
ネットでの常識を現実に持ってくる人は影で『人』に『あ~なるほど』って思われてますよ。
『だって人間だもの』は確実に『優しい言葉』です。『人』であるならそこで思考を止めないで。『優しい言葉で止まる思考』なんて意味が無い。あなたが悩みはじめたのは『先』が見えたからこそ、その場所を望んだからこそ生じた悩み。止めたら『先』にはたどり着けないよ。逆に『虫』な人には、だって人間だものはとても有用な言葉。用法、容量を守って定期的に接種した方が人生、下手したら悩んでる『人』よりも楽しく生きれると思います。
『 『人』は考える葦である。 』
葦だから『伸びる』んやで。
じゃあ『虫』は?
『生きた、墓石』?不動!ww
いや、ほんとバカにしてるわけじゃないんよ。どっちも一長一短。
伸びた葦は叩かれるでしょ?
かといって『人』ってジッとしてると不安になって精神が病むわけで。
人からしてみるとどう見ても『考えてない状態』で変わらない状態で生きている『虫』を羨ましく思うことあるし。
でも『そんなことない!我々だって我々なりに動いているんだ!』なんて正当化する虫よりかは充実して生きていけてるとは思える。
だからこそ虫な人に『前向きに墓石』なんてされたら到底かなわない。伝わりにくいかww
でも『虫』も『周りに証明』することを止めたら一気に『強く』なる。
例えば息子だとか思われても色眼鏡で見られてももうかまわない!って『前向きに二世社長をやる』とか。
周りに対する証明をし始めると『虫』はダメになっていくイメージがある。
だからこそ『ありのままで』って『虫向けの言葉』ってすごく良いんよ。
逆に『人』はダメよww
『ありのままで』は問題解決しないんだから。問題解決が目標なんだから。人と会わないと。
『虫と』じゃなくて『人と』会わないと。
この世はジャングル。『人』よりも『虫』の方が数が多い。
だから『運』を使わない限りは数をこなさないと『人』と会えないよ。
やっぱハードだけど接客業や営業の仕事が会える可能性が上がるかな。ぼくもそうだったし。たとえお客さんでも『人』と会えたっぽいなら離さないで。それこそ『虫』が自分の話を聞いてくれる『ママ』を見つけたら離さないのと一緒くらい。『人』に会えるなんて滅多にないから。ジャングルさまよっててやっと会えたぐらいの感じでいい。それこそ後先考えず何も考えないでやっちゃう『虫』の良いところをマネして誘ったり、今ならいきなりDM送ったり。
まぁ『人』も『虫』も一長一短で、その区別は人生においてとても大事だよって話。本当に大切。見分けて対処していこう!