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ガラスケースのメガネ

春分の日に新しいメガネが出来上がった。
今まで使っていたのと同じ丸い形。
形は丸一択。他は全く考えていなかった。
価格も抑え気味にして。フレームに何万円もかけるなんてとんでもない!という気持ちにブレはなかった。

出来上がったメガネは、「まあ、良い。こんなもんでしょ」って感じ。
気に入ったフレームだったから色違いで2本買った。
運転用の近視用と日常生活用の中近レンズの使い分けはすごく使い勝手がいい。
ただ、今までの丸メガネに比べて、貧相に見える。
このメガネをかけるときは、口紅を絶対塗らないと。
見た目が「おじさん」になっちゃうという印象。
まあ、用途優先で買ったからな、と自分に言い訳したことは、否定できない。

数日後、中近レンズの方がずり下がってくるので、メガネ屋さんに調整をしてもらいに行った。
カウンターで待っている時、目に入ったのは、海外のブランドもののメガネ。
ガラスケースに並べられているそれらは、どれも美しかった。じーっと眺めていると、形や柄がわたしがよく見る価格帯のものとは、何か違う。

メガネの調整が終わり、耳と鼻にしっくりきたメガネをかけて帰る前に、お店の人にお願いしいてみた。
「買わないんですけど、試させてもらえませんか?」
お店の方は、快くガラスケースから出してくれた。
3つお試しさせてもらった。
そのうちの1つが、お店の人も思わず(という感じだった)「うわあ、いいですねぇ」というくらい似合っていた。我ながら、輝きが増してきれいだった。
形は丸ではなく、モンスターズインクのロズがかけているメガネの形に似ていた。こういう形が似合うんだぁ、という発見でもあった。

そのメガネをかけた瞬間。
わたしの気持ちは、ぐわぁぁっと上がった。すっごく、よかった。
背伸びをするわけでもなく、等身大の、そのままのわたしにしっくりくる感じだった。
そうか、上がったのではなく、わたしらしさが発露されたんだ。
元々のわたしは、量産品の丸メガネで面白さを演出するのではなく、品のあるカジュアルが似合う人なのかもしれない。
わたしは、自分は高級なものを持つ資格なんてない、と思っているところがある。
最近よく口にする言葉は「身の丈に合う」だし。
高校生の頃、「清貧の思想」に感化され、短大受験の現代文の試験問題も偶然「清貧の思想」だったからか知らないけど、「清貧」に縁があり、美しいことだと思っているところが大いにある。

だが、しかし!
わたしはわたしのことをずいぶん過小評価していたかもしれない。
もっと良いものを自分に与えてあげてもいいんだ、とそのメガネは教えてくれた。
今までのわたしこそ、逆の意味で身の丈に合わない生活をしていたのかも。
あとは「わたしはこれ!」と決めつけないこと。
決めつけずに、すーーっと引き寄せられたものを試してみたら、思わぬわたしらしさに出会えるかもしれない。

ガラスケースのメガネ、買うかもしれないし、買わないかもしれない。
これもまた決めつけず、引き寄せられる方へ進めばいいだけだ。



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