神宮外苑2024秋冬〜木々の囲われた路地を、天使たちと歩く夜
「神宮外苑の森と都市のストリート、コーチジャケット」を商品化していった時、
「紅葉の時期の外苑のアイテムもあるといいね」
という声をいただいた。
11月の終わり、時期を見て、青山に向かった。
どちらかと言えば、空(から)っとした、悪くない気分だったと思う。
路上に向かう時、それもただの移動ではなく、カメラをバッグに詰め、どこかへ向かう時、他では得られない、「無」みたいな気持ちになれる。
ところが現場に着いてみて、なんかな・・・という感覚になり、報道で分かってはいたけれど、樹木の伐採が始まっている現場を通ると、泣きたいような吐きたいような、自分でもワケのわからない気持ちが溢れてきて、続行を諦めた。
写真を撮ろうとして、そんな気分になったのははじめてだった。
日を改めて、再び外苑に向かった。
出来れば同じ地点から、撮り始めようと思った。
音楽は、要らなかった。そういう気分ではなかった、というのもある。
言わずもがな、だけれど、銀杏並木を撮りに行くだけではないのだ。
その日は空が、なんだか不思議な表情で、そのせいか、救われたような気持ちにもなった。
恋人たちは、「悲惨」を「素敵」な舞台に変え、勝手に逃げろ人生、してるし。
シャッターは押せなかったけれど、私と並行するように路地を歩いている二人組の女の子が、天使みたいな会話をしていて、まるでサリンジャーの世界・・・
いやあれは天使だったんじゃないかって、今では勝手に私は思っている。
素晴らしく美しいことは、きっと、吐きそうなほどの汚辱の、悲惨の、すぐ隣にある、エズミはそう言っていたね。
けれど若者の自殺率がとびきり高いこの国で、あんな天使たちにまで、黒い影が及ぶかと思うと、耐えられないよ、やっぱり。
残す木と残さぬ木、銀杏の写真ももちろん沢山撮った。
良い形でミクスチャーし、方法も考えて(NFTとかもありかも)紹介できればと思う。
霞のようなものは光のハレーションだと思うけれど、白いフェンスに囲われた木々の鬱蒼は、シャッターを容易に切らせてくれるものではなかった。
時に露光が足りない、時にシャッタースピードが間に合わないなどの理由で、木々はなかなかフレームにおさまってくれなかった。
拒まれているようにも、思えた。
排除する、と決められた木々の場所は、今まで鬱蒼と闇が濃く、カメラを向けようなど考えもしなかったし、囲われた事ではじめて、深淵に、私のような凡庸の民も近づきシャッターを押す事が可能になる、もちろん覗き込む事などかなわない。
捕獲され殺される予定の幻獣に、加担者の一人として近づいたに過ぎない。