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同調圧力なんてほんとはないっていう話

普段はサラリーマンとして勤務し、複業で教育事業に向き合う中で両者に共通するテーマというのが時折見えてくることがあります。

 

その一つに『同調圧力』というものがあります。

 

企業での意思決定の場や教育の現場でビジネスパーソンや生徒や先生方が受けるこの『同調圧力』が問題視されるケースが多くあります。

そして過去脈々と続いているこの『同調圧力』を悪として、新たな価値観を正義として過去の『同調圧力』をかけていた層に攻撃をしかける動きが世の中で出てきているなあと感じています。


身近で一番わかりやすい同調圧力が何かなあと考えていた時にやっぱり最近では一番最初に出てくるのは『マスクの着用』だなあと感じています。
 
私の知り合いの経営者が最近お店での着用義務が求められる場合や着用有無がチェックされるところを除いては、日常街中を歩く中ではほとんどマスクをしていませんと言っていたのを聞いて、めっちゃ驚いたのを覚えています。(マスク着用するのが正しい、正しくないの議論はここでは一旦置いておきたいと思います。)

 
この経営者の方は非常に頭脳明晰且つ、ビジネスでも成功を収めていらっしゃる方です。これまで何年も仲良くさせて頂いていますが、その中でビジネスは勿論のこと、プライベートで付き合っている人たちの考えや意見を過度に批判するような人でもなければ、ビジネスパーソンとしてのマナー、コミュニケーションを取る相手への礼節、人と人との付き合いにおけるリスペクトをしっかり持っていらっしゃる人格者です。

そんな人が多面的な状況判断を基に、必要でないと感じている場では堂々とマスクをつけないという選択をしていることに非常にリスペクトに値すると感じていました。

勿論、周囲の人への配慮を元に嫌でもマスク着用を順守している人もいるかと思います。しかしながら、必要に迫られている場以外の全ての場において思考停止でマスクを着用している人やマスクを着けない人を過度に批判する人も少なくないと思いますが、彼は彼の中でしっかりとつけない理由を持っていたのではないかと思います。

最近では夏に無理にネクタイをする人が本当に少なくなったように思いますが、私が入社した頃の多くの企業はネクタイが必須(暗黙の了解の中で着用するのが当たり前)という風潮はあったのではないかと思いますし、もっと言うと、最近の大企業でカジュアル化が急速に進みましたが、スーツを着ないで会社に行っている人なんてかなり少数派だったのではないかと思います。

そう考えるとウィルスという不可抗力の因子があるので何とも言えませんが、『あの頃は外に出ている時はそのほとんどすべての場においてマスクをつけていたよね』なんて振り返る日が来てもおかしくないと思ってしまいます。

マスクは少し極端な例かもしれませんが、この『同調圧力』を思い出す時に大学時代の飲み会を思い出します。
 
私の大学時代は世の中一般的に飲み会で一気飲みをすることや先輩から注がれたアルコールは飲み干さなければならない、というのが大学の部活・サークルに置いてはどちらかというとメジャーな考え方だったように思います。

幸いなことに大学で所属していたトライアスロンサークルでは早々にお酒が飲めないキャラクターを認めてくださり、事なきを得ましたが大学はサークル以外にも多く飲み会・懇親会があり、このお酒の同調圧力に強く苦しんでいたように思います。

ビールのジョッキ半分を飲むだけで顔が真っ赤になり、一杯飲み切るとトイレに駆け込むかその場で寝てしまうかという私のアルコール耐性のなさに、大学時代はかなり苦しんだ記憶があります。
 
私ほどお酒が飲めない人は大学の中では本当に少数派だったこともあり、居酒屋に行って仲間が

Aさん『生ひとつ!』

Bさん『私も生!』

Cさん『全員生で!!』

という流れを止めて、『ジンジャエールをお願いします』

と言ってしまったときのあの流れを止める罪悪感といったら半端じゃなかったなーとおもいます(笑)

普段ははきはきとエネルギー強めに話す性格の私がこの『ジンジャエールで』と頼む時の周囲への申し訳なさそうな対応と、


『え?お酒頼まないの?意味がわからない』

と言われた時に焦った様子から、周囲も敢えて飲まそうとしてきたり、責められる経験を何度もしていました。

最初は
『飲めない俺に何で無理やり飲ませようとしてくるんだろう。』

『お酒が強い人は本当に飲めない人の気持ちがわからないんだろう』

と周囲を攻めていたように思います。

結果として、このお酒を飲む、飲まないというしょうもない話で議論をして、水掛け論になり何にも解決しなかった記憶があります。
 
でも今思い返すと、これは自分の意識が作用して周りをそうさせてしまっていたんだなあと思います。

皆がお酒を飲んでいるのにも関わらず、自分だけが飲めないことにある種の罪悪感を感じている時点で、実は私の中に『周囲と同じ行動をとらなければいけない、周囲と同調しなければならない』という価値観がどこかであったのだと思います。

例えば大学のサークルの飲み会で一人だけアスリートとしての成績が優秀だったり、人望溢れていて誰からも慕われている人がいたとして、その人が毎朝早朝に起きなければならない人で体調管理をしっかりとしている人だったとしたら、周囲はその人にお酒を強要したでしょうか。

それは周りがお酒を強要しないのではなくて、本人が飲めないことを『恥ずかしい』と思っていなかったり、そもそも周囲と同じでなくてもいいと『堂々としていた』からに他ならないと思います。

そういう人はそもそも周りと同じないといけないという意識自体を持っていない(同調圧力の意識を持っていない)ので、結果として同じことが起こらないのです。

飲み会の楽しい雰囲氣自体は大好きでしたし、人とつながることが大好きだった私はこのお酒が飲めないというディスアドバンテージがあるがために、お酒の場に行くのが毎度少し億劫になっていた時期がありました。

そんな中で自分なりにこの『同調圧力』からの脱却を検討した結果、ほとんどの飲み会で幹事をやることに決めました。

元々人を喜ばせることが好きだったのと、周囲がどれだけ酔っぱらっても幹事はお店の事前手配は勿論のこと、最後の最後まで場をコントロールすることが求められるので、実はお酒を飲まされる機会がいち参加者より少ないのです。

仮に『幹事飲めーーー!』と言われても最初に一杯を小瓶で全力で飲んだらだいたいの人は満足してくれます。

あとはずっとソフトドリンクを飲み続けて、体内のアルコールを薄めれば何とか飲み会の最後まで生き残ることが出来ました。笑

そういう飲み会の幹事の機会を重ねていく中で、いつの間にか幹事をするキャラクターが定着し、周囲から毎度面倒な飲み会を開いてくれてありがとうと感謝されるに至りました。

こうなる頃にはお酒が飲めないと言っても攻められることはほとんどなくなりましたし、飲み会は毎度自分で開催するので、お酒を強要してくるような人と飲む機会も自然と減っていったように思います。

そしていつの間にか飲み会の場で『お酒を飲まないといけない』という同調圧力の意識は僕の中で姿を消していました。

思い返せば毎度居酒屋・飲み会に行けば、周りの同じように振る舞わないといけないという自分の意識自体が、

『お酒を一気飲みしないと場が盛り上がらない』という同調圧力を自然と生んでしまったのではないかと思います。

飲み会はただの一日のイベントかもしれませんが、日々企業にいたり学校にいたり様々な活動をする中で、同調圧力を感じてしまう人は少なくないのではないでしょうか。しかしながら、この同調圧力を感じるということは、心のどこかであなたが『周りと同じようにいなければいけない』という価値観を内側に持ってしまっていることを表しています。

これは何も悪いことばかりではないと思います。

だけど、その同調圧力に負けたくないと思うとき、それは自分ではやりたくないと思うとき、その同調圧力を受け入れられないと思うとき、

面白いことにその裏にあなたの個性やあなたしか持っていない魅力、あなたが世の中に貢献できる天才が隠れているのかもしれません。


同調圧力に対して真っ向から勝負を挑む経験をすることも全然ありだと思います。しかしながら、自分の短い人生の経験則からお伝え出来るのはこの同調圧力に真っ向から勝負を挑むと正義と正義のぶつかり合いで、いつの間にか自分が傷ついてしまうこともあるということです。

同調圧力を圧力ではなく自分の人生のおいての気付きだととらえることが出来れば、会社・学校・社会のありとあらゆる場で出会う『同調圧力』がもう圧力と感じなくなるかもしれません。

私も自分の意識を素直に認めるまでにかなりの時間がかかってしまいましたが、『同調圧力』ってのは自分自身が創り出している負の意識でしかなかったのだなと。

周りと無理に同調しなくなった今『あなたは変わっているね』と言われることが光栄に思いますし誉め言葉だと感じることが出きています。

周囲の環境や制度ではなく、まず自分自身が強く持つ『意識』を変えることで世界が変わる。これをIX(意識トランスフォーメーション)と呼んでいます。

そんなIXストーリーをこれからも皆さんにお届けしていきたいと思います!!

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