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なぜ日本では旧正月を祝わなくなったのか?—東アジアの伝統と日本の選択
本日1月29日は旧正月!
旧正月(旧暦の正月)は、中国や韓国、ベトナムなど東アジアの多くの国で現在も盛大に祝われる重要な行事です。しかし、日本では明治時代以降、旧正月を祝う文化がほぼ消えてしまいました。日本もかつては旧正月を祝っていたにもかかわらず、なぜこの伝統が失われたのでしょうか?
本記事では、旧正月の歴史、日本における旧正月の変遷、そして政府の政策と国民の選択がどのように影響を与えたのかを詳しく解説します。
旧正月とは?
旧正月とは、太陰太陽暦(旧暦)に基づいた新年の祝祭です。旧暦は月の満ち欠けを基本としながらも、季節と調整するために閏月を入れる方式を採用しており、毎年の旧正月の日付が異なります。
このため、旧正月は1月下旬から2月中旬の間に訪れ、東アジアの多くの国ではこの時期に国全体で休暇を取り、新年を祝う文化が根付いています。
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旧正月を祝う国々
1. 中国(春節)
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中国では旧正月を「春節」と呼び、1年で最も重要な祝日とされています。
爆竹や花火:邪気を払い、新年の幸運を願う。
家族団らん:大晦日には「年夜飯(ねんやはん)」という豪華な食事を家族とともに楽しむ。
紅包(ホンバオ):お年玉の習慣があり、子どもや若者に赤い封筒に入れたお金を贈る。
長期休暇:7日間以上の休暇が設定され、多くの人が帰省する。
2.韓国(ソルラル)
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韓国では旧正月を「ソルラル」と呼び、やはり重要な家族行事とされています。
茶礼(チャレ):祖先を祀る伝統儀式。
トックク(餅スープ):1年の健康と長寿を願って食べる料理。
セベ(新年の挨拶):子どもが年長者に礼を尽くし、お年玉をもらう風習。
3日間の祝日:国全体が休みになり、家族が集まることが重視される。
3. ベトナム(テト)
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ベトナムでは旧正月を「テト」と呼び、旧暦の1年で最も重要な祝祭です。
バインチュン(餅)を食べる:伝統的な餅を食べて新年を祝う。
家族で墓参りをする:祖先を敬う文化が根付いている。
獅子舞や爆竹で邪気払い:中国の影響を受けた風習も多い。
日本における旧正月の歴史
奈良・平安時代(8世紀~12世紀)
中国から伝来した太陰太陽暦(旧暦)が採用され、旧暦の1月1日が新年として祝われるようになりました。
宮中では「元日節会(がんじつのせちえ)」という儀式が行われ、天皇や貴族が祝宴を開いて新年を祝いました。
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2. 鎌倉・室町時代(13世紀~16世紀)
武士階級が台頭し、新年の挨拶回りや武家の祝儀が行われるようになりました。
貴族だけでなく武士や庶民の間でも、正月は重要な行事として定着していました。
3. 江戸時代(17世紀~19世紀)
江戸時代には、現在の正月の風習の原型が生まれました。
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門松・しめ縄・鏡餅:正月飾りとして広く普及。
年始の挨拶:武士や商人が挨拶回りをする習慣。
お年玉:もともとは「御年魂(としだま)」と呼ばれ、餅を配る習慣だった。
年越しそば:江戸中期には庶民の間で広まりました。
つまり、日本も他の東アジア諸国と同じように旧正月を祝う文化が定着していたのです。
なぜ日本では旧正月が消えたのか?
1. 明治政府の改暦政策
明治6年(1873年)、政府はグレゴリオ暦(新暦)を採用し、新暦の1月1日を公式な正月と定めました。
この決定には財政的な理由もありました。旧暦のままだと「閏月」が入り、役人の給料を1カ月分余計に支払わなければならなかったため、政府は改暦を急ぎました。
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2. 国の方針と国民の柔軟性
日本では、政府が進める近代化に対して国民が比較的スムーズに適応しました。
江戸から明治への変化と同様、社会全体が「新しい文化」を受け入れる傾向が強く、旧正月から新正月への移行も迅速に進みました。
他の国との違い
中国や韓国でも新暦が導入されましたが、旧正月は祝日として残りました。
1. 中国(春節)
旧正月が中国の文化と深く結びついていたため、政府もこれを重視し、国家行事として維持しました。
2韓国(ソルラル)
一時期、新暦の正月を祝う政策が取られましたが、国民の要望で1989年に旧正月が再び祝日として復活しました。
まとめ
日本は明治時代の近代化の過程で、政府の方針をスムーズに受け入れ、国民の間で新しい文化が定着しました。
その結果、日本では旧正月がほぼ消え、新暦の正月が一般的になったのです。しかし、沖縄や中華街など一部の地域では旧正月の伝統が今も続いています。
日本の変化の背景には、政府の方針だけでなく、国民の適応力の高さがあったのです。