無題

6/10
水曜日の引っ越しを前に、いろいろな人が声をかけてくれる。今日はアーティスト仲間がランチをご馳走してくれて、明日は遊びに誘ってくれている友だちがいる。
スタッフの皆さんも気にかけて声をかけてくれるし、本当に人に恵まれた5年間の横浜生活だった。
先日、小川和さんのトークイベントで教えていただいた、東浩紀さんの「訂正する力」を読んでいる。
わたしはこんなにも周りに親切にしてくれる人達がいるのに、たくさん間違いをして、人を傷つけて、罪悪感で死にたさが募る。
だけど、間違ったら訂正することが大事なんだと、そこでリセットしないで、何度も訂正して訂正して、生きていくんだということを、小川さんの話とこの本に教えてもらった。
謝罪も受け入れてもらえない場合でも、それでも訂正して進んでいくしかない。一人の人と人の関係、複数の人との関係、それらを自分の間違いによって壊してしまったとき、関係性を終わらせる以外、私にできることはないと思っていたけれど、例え関係性がなくなっても、自分自身を終わらせて、過ちを訂正することなく考えることを放棄することは不誠実なことだとも思えるようになった。
もちろん、これ以上関わってほしくないという人にこれ以上関わることはしない。
ただ、今そばにいる人たちを、今後傷つけてしまうことがないように、今までの間違いがなぜ起きてしまったのか、よく考えて、相手の気持を想像して、行動すること。
簡単にできる行動、このようにSNSを使うときは特に慎重になること。
ま違えそうになった時はまた本を開く。小川和さんの「日常的な延命」も、東浩紀さんの「訂正する力」も助けてくれる。
それで踏みとどまったあと、もやもやしたり感情がまだ乱れていたなら、今度は読みかけの小説を開く。物語に浸っている時間は、その物語の中にいることができる。読み進まなくなってきたらきっと次は写真集を手にすると思う。
わたしは部屋で映画を見ることはあまり好きではないから、やっぱり今は本が良い。
写真集を開いてページをめくる時間も好き。そしてこうして日記を書く。本当に他者を傷つけないためには非公開のツールを使って書くことが一番良いのだろうけれど、何故かそうしようとしても出来なかった。単純にnoteが使いやすいからかもしれないが、やはり少しでも世界に開けていたいという思いが片隅にあるのかもしれない。


こで寝落ち。
日付は11日に変わる。
スタッフのみんなに作った冊子を手渡しお別れの挨拶。夜はお友達アーティストがささやかな会を開いてくれる。うれしい。
夕方、本を持って大好きな珈琲山に行っていつものゴールデンキャメルを。
こんな喫茶店がまた引越し先の近くにもあれば嬉しいけど、珈琲山は唯一無二だ。


6/12
無事お引越し完了。
最後にAIRの事務局長と出勤していたスタッフの皆さんがお見送りしてくれた。
あたたか気持ちでいっぱい。
なんだか感慨深いけどよく考えたら電車で1時間半の距離。また遊びに行こう。

引っ越しはスムーズに済み、片付けマンなのでどんどん片付けていい感じになった。
明日は区役所に行って、警察署で運転免許証の住所変更をして、午後に洗濯機とガズコンロが届き、忙しくなる。まだ大家さんに挨拶もできていないので挨拶をして、疲れが出ないように気をつけよう。


6/13
物音が違う。京急線の音もかいだん広場に集まる人々の賑わう声も、子供達の声も聞こえない静かな住宅街なのだけど、隣接する家屋の台所の音や、掃き掃除をしている箒のカサカサした音、二階の住民が椅子を引く音、電話のベル、洗濯機が回っている音、そんな小さな音がなぜか、あのうるさい環境よりも気になる。
黄金町にいた時も、引っ越してすぐの頃は騒音が気になっていたけれど、次第に電車の音なんかどうでも良くなった。周辺の人が活動する音に警戒心のある鳥のようにビクビクしてしまうのも、環境に慣れれば無くなるのだろう。
この部屋の蛍光灯の光は明るすぎるので、黄金町で使っていた暖色の電球を昨日の夜は使った。日中台所の窓からさす光は明るいけれど、寝室の窓は目の前に民家があり、光を取り込めず薄暗い。日中も照明を使う必要があるけれどやっぱり蛍光灯は私には明るすぎて、電球を灯している。夜のような雰囲気の室内。それも時期なれるのだろうか。
今日は朝から区役所で様々な手続きをして、正午にはガステーブルと洗濯機が15時までに届く予定のために急いで帰ってきた。3時にはガスの開栓作業と管理会社の人が来るため、只管部屋で待っている。
このアパートは一軒の建物に一階と二階、二世帯が入っているアパートで、私は一階にいる。共同玄関の扉を開くと右手に階段があり、階段の上に二階の部屋の入り口の扉がある。共同玄関を開けるとまたすぐ扉があり、それが一階の私の住む部屋の玄関になっている。
インターホンも無いため、今日のように荷物が届く予定の日は特に外の音に敏感に反応してしまう。コンコンという音が鳴るたびに、共同玄関のドアをノックする音と思ってドアを開ける(私の部屋のドアを開け、共同玄関のドアを開ける)が誰もいない、ということを繰り返しながら待っている。
1時ごろがステーブルが届き、もう待ちくたびれているけれど、洗濯機はまだ来ない。
ガスの開栓作業と管理会社が来るのを待ち、それまでは部屋から出ることができず、そういう時にぼんやりと不安が襲ってくる。
昨日までそばにいた人たちはもう離れたところにいる。一緒にタバコを吸う友達も、散歩中遊ぶ犬も、夕方ママと一緒に来てくれる小さな友達も、もうそばにはいない。自分が選んだ選択が間違いだったのでは無いかという不安がやってくる。
早く洗濯機が来て欲しい、と思いながら本を開くけれど読み進まない。隣の家から台所で鍋の蓋を開け閉めする音、ガスが点火する時のチチチチチ・・・という音が聞こえてくる。テレビの音に紛れて、おばさんが2回あくびをする声。
映画でも見ようか、と思うけれどイヤホンをせずに見る勇気がまだない。物音を立てずになるべく静かに存在していたい。イヤホンをすれば配達員がドアをノックする音を聞き逃すかもしれない。だから静かにただ待っている。
全ての予定を済ませたら出掛けてボディシャンプーとトイレットペーパーを買う。フライパンも買いたい、味噌も油も砂糖も買いたいけれど今日はひとまずご飯を炊いて、ふりかけをかけて食べることにする。
タバコとお酒はきっと買うだろう。お金のことが気になっているけれどなるようになるしかない。明日の午後ケースワーカーさんが訪ねてくる際に通帳を見せなければならない。借金のことを突っ込まれるのは確実で不安になっている。
クレジットカードを使って自転車を買おうと思っていたけれど、今日区役所でクレジットカードの利用について、借金について注意を受けたので我慢せざるを得ない。
明日は午前中に運転免許証の住所書き換えに行こう。午後はまた荷物が届く。3時にはケースワーカーさんが訪ねてくる。

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