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①本棚の裏に捨てる

まず、不調を安易に「死にたい」という言葉で、周りにいる人たちに投げてしまったことをとても反省している。
たった4文字で人を心配させたり、あるいは呆れさせたりするワードを軽々しく使うべきではなかった。
何がどう不安なのか、言葉を尽くすべきだったし、人に投げる前に、まず自分の頭で考えて、ノートに書き出すなり何なり、するべきだった。

今日がいつなのかももう曖昧だけれど、数日前に二日間全く眠れずに、精神的にパニックになっていた。その時に友人に死を仄めかすようなメッセージを送ったり、電話をかけまくり(出ないのに)そういったことをしない戒めとして、
スマホの電源を切って、本棚の裏にスマホを投げ込んだ。
その前に、Twitter(x)はアカウント削除し、SNSによる情報を遮断、もちろんそれでもPCから見ることはできるけれど、だいぶめんどくさいので見ることが減った。
LINEも同じく、PCから繋がっているけれど、外出時は見れないので、忙しくて返信がすぐにできない人とのレベル差が縮まり、ちょうど良くなったと思う。

スマホを持たずに外出して不便なことももちろんある。
方向音痴なのでGoogleマップがないと目的地まで容易に辿り着けない。
昨日は初めて行く劇場にたどり着くまでに、電車の乗り換えは間違え、駅についてからも道にいた警察官やお店の人に訪ねてやっとのことで辿り着いた。
でもそれでいい。
PayPay、スマホSuicaが使えないことも、現金が減っていくので困りものだけれど、お金を使わないように気をつけるようにきっとなるだろう。(昨日は盛大に使った)

無駄にインターネットを見ることがなくなり、読書が捗った。移動中も本を読み、部屋にいるときも本を読む。積読が消化されていく。

一人でいる時間をどうやり過ごすか、当面は本を読んだり映画を見たり運動をしたり、そういうことで解消できるだろう。
ただ、私は飽きっぽいので、少し難しくしておく必要もあると思う。(攻略してしまわないように)
だから自分に課題を与えることをしようと思う。
コンペが苦手で避けがちだったが、アーティストとして公募に応募することと、
文章を何かしらの賞に応募する、などして、負荷をかけたい。

こんなふうに元気を取り戻しつつあるのは、本棚の裏にスマホを捨てたからではない。

昨日友人が一緒に過ごしてくれたおかげだ。
彼は私を甘やかすことはせず、ただ制作の話などができ、有意義な時間を過ごすことができた。
思いっきり迷惑をかけた相手であるのに、ちゃんと向き合ってくれて本当に感謝している。
調子に乗って甘えようとする私にはピシャリと叱りつけ、言いつけを守ったところ
「反省したんですね、偉いですね」
と褒め。
その揺さぶりがDV気味であることは否めないが、また友人として接してくれただけでもういい、十分ありがとうだと思った。

私の異性に対しての「甘えたい」願望は、今時点で満たすことはできないけれど、今は一瞬、もう今ではないのだから、希望的観測をしながら、たくさんの人と出会う場所に出向いたりすれば忙しく過ごせるし、いいことであると思った。

今はいないけど今はもう今ではない。
だから大丈夫という無理やりな理論。
でも、「甘えたい」を押し殺したり、悪い感情だと思うよりも楽観的に考えた方がいいに決まっている。
だからといってこれまでのように、断られているにもかかわらず「ハグしてくれ〜〜〜」と迫るようなことはもちろんしてはならない、金輪際やめよう。
「ハグして」→「OK」の人にはハグするけど、→「NO」の人を脅して願望を叶えるのは性ハラスメントである。当たり前だ。

だけど言ってみなけりゃわからないこともあるので、一度だけ言ってみる、は自分に許したい。「好きです!」→「ごめんなさい」→パニック→無理やり甘えさせてもらう、はもう絶対に駄目。反省しております。。。
だけど一度だけ好意を伝えること自体はきっと悪いことではないので、これからも好きになった人には好意を伝えるだろう。
それを受け止めてもらえなかった時に、「拒絶」と捉えずに今まで通り友達でいてくれたらそれで十分だな、と思えるように、マインドを変えて行けば、辛さも減るだろう。

「本棚に 挟んだままのスマートフォン 電話の役目を忘れているから」

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