1日だけ日記

さっきふと、人類お金稼がなくても生きていける時代がもうすぐ来る、みたいなお告げがあった。恐ろしくポジティヴシンキングのゾーン、つまり躁気味なのだと思う。実家に帰ってから一度管轄のハローワークに行った以外外出することなく、引きこもりってこういう状態なんだ!を日々実感している中、謎のポジティヴが今、急にやってきている。身体の状態は生理2~3日前なので、絶対にいいはずがなく、案の定毎回恒例の腹部膨満感(お腹が妊婦さんみたい)と胸の張り(めっちゃ巨乳プラス当たるととても痛い)などの不調があるし、通常なら希死念慮がやってきている時期なのに、意味がわからない。
そもそもこのお告げは全くいい効力は発揮しない。
実家に戻ってから約2週間、毎日「住み込み アルバイト」「住み込み 工場バイト」「住み込み 農業」「住み込み 短期間」などの検索ばかりしているにも関わらず、登録しては折り返しの電話を無視、しまいには電源をオフ、を繰り返しているだけの体たらく、まるで働く意欲が湧いていない果ての、お告げ。
単に働かなくていいんだよ、と自分を肯定してあげたいだけになっている。

今日は朝から、薄い壁の向こうから野球中継の音が聞こえていて、それを完全に無視しながら12時ごろまで寝ていた。起きてドアを開くともうそこがリビングなのだけれど、そこで両親が大谷くん大谷くん言いながら、野球を見ていた。
母はこの1週間「めまいがする」と言ってデイサービスに行くのを休んでいるけれど、毎日ストゼロを朝から四、五本と、焼酎の水割りをがぶ飲みして寝ているだけなのだから、そらトイレに行くときなど、立ち上がる時にめまいがしてもおかしくはない。依存症患者から完全にそれを取り上げるのは根本解決にならないから、何かの痛みを和らげるためにストゼロが必要なら、多少は仕方ないとは思うけれど、朝から水くらい飲んでいるのだから、それでデイサービス休むのはずる休みだな、と思う。とはいえ、デイサービスは行って特に何かするというわけでもないらしく、退屈だから行きたくないようだ。
父は抗がん剤治療中で、その副作用でかなり調子が悪い。加えて昨年腰を圧迫骨折して以来腰痛が酷いようで、そんな状態で母の介護をしているので体は良くならない。
そんな中帰ってきた無職40歳の娘は働く意欲もなくほぼ部屋に引きこもっている。まるで希望などない、この先病状は悪くなる一方だろうし、希望なんか全くないこの老夫婦が、朝から熱心に野球観戦をし、大谷くん大谷くん言っている。
大谷くん、偉大である。
大谷くんがヒットを打つたびに「うわ〜すごいなあ!」と歓声を上げる母と拍手する父、二人の嬉しそうな姿を見ていると、大谷くんにノーベル賞をあげたくなる。
ありがとう大谷くん(とデコピン)。この先なんの希望もない病気が悪化する一途を辿るだけの老夫婦に楽しみを与えてくれて、ほんまにありがとうという気持ち。

私はというと、基本引きこもりだけれども、もちろん家族に対してなのか世間に対してなのか、申し訳なさがあり、多少の家事はする。
洗濯物を干し、取り入れて畳む。晩御飯を作る。一階に住む92歳のじいちゃんに運ぶ。洗い物、掃除、異常である。
買い物は父が信じられないくらい早い時間に行ってしまうのでついていけた試しがない。8時には買い物を終えて帰ってきて、荷物を2階にあげて欲しいと起こされる。腰が痛い上抗がん剤の副作用で足がパンパンに浮腫んで、引きずって歩いているのだから、本来買い物に行かせてはいけないと思うけれど、私が運転できないためか、買い物を頼まれたことはない。
良い娘であれば、頼まれなくとも行くのだろう。
私は家族とのコミュニケーションをなるべく取らないようにしているので、
「買い物代わりに行くから朝早い時間に行かんといて。昼適当な時間に行ってくるから。すみませんお金はないんでもらえますか?」
とかのやり取りをするのが嫌で、任せている。

母とか長年の因縁があるが、もうすっかりそんなことなかったかのように、つまり統合失調症の妄言、罵声、暴れる、意味不明な行動、などがもう一才無くなっていて、今はただの老婆。まだ67歳なのに見た目もう80代。呂律が回らないのは長年の薬の服用のせいだと思っていたけれど、ストゼロのせいだろう。トイレ介助は今のところしていないけれど、限りなくグレーというか、必要は感じている。母がトイレに行った後のトイレはものすごい状態だし、落ちている下着はうんちまみれ。それを私は触りたくないから、洗濯物は回すところまでは父がやる。私は干すところからしかやっていない。

母はもう本当に何もしない。それは昔からだけど、今や父も癌を患い治療中の身なのだけど、分担できることはなさそう。

父は買い物で買ってくるものがかなり特殊だと思う。夏に10日ほど帰省していた時と、10月の今もそのラインナップが変わっていない。夏でも冬野菜の長ネギと白菜を必ず買うし、なんなのだろうとその頃も不思議に思っていたけれど、これは毎回父が買うものだと気がついた。
毎回、白菜と長ネギ。季節も関係なく白菜と長ネギ。
とても使いにくいから、せめてキャベツともやしとかにしてくれと思うけど、そのコミュニケーションをとるのも嫌で、言っていないので、毎回白菜と長ネギで何かを作るしかない。
それから中途半端なインスタント食品を必ず買って帰ってくるのも困る。たとえば野菜を加えて炒めればいいだけのエビチリとか、パスタとか。
それなら肉や魚を買って帰ってきてくれた方がやりやすいし、健康的だと毎回思うが、言わない。
会話をしたくないのは、自分のコンディションがイマイチなのはわかっているけれど、何が地雷なのかが自分でもわからないから、なるべく避けたいと思っているからだ。
家族と会話をして、何の言葉に感情を抑えきれないほどの怒りが湧くのか、コントロール不能になることがこれまでに何度もあった。今は母の統合失調症の症状が出ていないから大丈夫かもしれないけれど、父も父で、抗がん剤の副作用でイライラしやすくなっているようで、よく小言を言っているので油断できない。
父には買い物以外にも、物を置く場所にこだわりがあったりするから、私が掃除した後に「何してくれんねん、くそ」など怒鳴っていることがあるので、そういう時は心の中で「副作用、かわいそう」と思って黙ることにしている。
たまに言い返してしまうけど、長年印刷工場で働いてきた父が耳が相当遠いので聞こえちゃいない。
こちらが会話をしなくてもあちらはガンガン話しかけてくるので、首を縦に振るだけで別にコミュニケーションは成り立っている(つもり)だし、
本当なら晩御飯は好きなものを作りたいし、食材はえらびたいものだけれど、親の金だし会話したくないし、仕方ないのだ。

そして毎日ほとんど寝ている。父も母も私も、とにかく寝ている。92歳のじいちゃんは朝からボランティア活動に出かけていたり、活発で我が家で一番元気だ。8月に帰省した時は「じいちゃん新車買ってん」と自慢していたくらいだ。
毎日まめに掃除をしているから1階は2階よりも綺麗だし、晩御飯だけ謎の風習で2階から持って降りるけれど、朝昼は自炊しているし、本当は夜も自分で作れるのだろうけれど、ここにはからくりがあって、定期的にこれも一緒に持って降りて、と渡される紙切れには金額が記載されていて、つまり一応晩御飯だけ用意することで、じいちゃんから生活費をもらっているようだ。じいちゃんは多分晩御飯を用意しなくとも、2階の世帯にお金を入れてくれるだろうけれど、そうも行かんと父が思っているのだろう。ちなみにじいちゃんはいまだに時々仕事をしていて、仕事がない日には「じいちゃんもうほとんど仕事ないねん」とぼやくので「若いもんの仕事なくなるからもう働かんでいいって」とか言ってしまう。
本当はそんなこと思っていなくて、仕事が生きがいの人だから、働きたいなら働いてこれからも健康でいてほしいと思う。
一才ボケてもいないし、耳も遠くないので、じいちゃんとはよく会話をする。

そして夜夜中突然の「人類お金稼がなくても生きていける時代がもうすぐ来る」というお告げ・・・
テレビで培養食品を取り扱っていて、近い未来にはスーパーで培養される前のマグロが売ってあって、家に帰って培養する機械に入れてスイッチを押すといつでも新鮮なマグロが食べられる、みたいな番組で、うわ、いただきます文化なくなるな、とか思いながらその番組を見ていた時にそのお告げはやってきた。

人類の都合のいいようにだけ進化し続けて、他の生物や環境のことなんか一才無視しているのだから、お金を稼ぐために働く、なんていうまどろっこしいことをし続ける時代は終わるのだ、という、お告げである。

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