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7歳の承認欲求

先週、娘の学校で配られたプリントに図工で使うための、自宅から用意する材料というのが載っていた。

必要な材料は、粘土で作ったごはんを入れるための、紙皿、紙コップ、アルミの深皿、ペーパーナプキンなどと書かれていた。

うちに何とかある材料だったので「家にあったよ!良かったね!」と言って持たせたら、どうやら女の子の中では、普通の白い紙皿やコップは娘だけだったようだ。

「みんなで見せ合った時、私だけ白いのだった。私も全部可愛い絵のついたものを持っていきたかったな」と言う。

一応紙皿の一枚はクリスマスの楽しそうな柄で、ペーパーナプキンもチェックだったから、全部が無地ではなかったが、他の子の家ではイラスト入りが常備してあるのか、わざわざ購入した子もいるようだった。

改めて今回、我が家も含めて最近の子どもは、親に何でもすぐに買ってもらえるのが当たり前だなぁって思う。


私自身も必要だと言われると、つい買ってしまう。洋服も、文房具も、工作グッズも、結構すぐに買ってしまう。

我が家も今回は、たまたま我慢させただけである。

もう一つ、他の子が絵付やキャラクターの紙皿類を持ってきたのは、兄弟のいる家庭ということも、大きな要因の一つだろう。

32人いる娘のクラスに、一人っ子はなんと娘だけなのだ。
少子化問題が叫ばれているが、都市部以外の地域では、産む人は複数人産むというのが、これまでの個人的な経験から感じる印象である。

一人っ子の家庭は、どうしても大人の生活スタイルが幅を利かせる。
子供しか使えない子供用のものは、なるべくもう小学生になるし、わざわざ買いたくなく今回はその類だった。

しかし、もし我が家にも子供が複数いれば、使い道もあるかな?と子供の欲しがる物を買ったかもしれない。

話は少し変わるが、娘が入学してから、「それ、可愛いね」って褒められた!と喜ぶ姿をよく目にする。

そして反対に友達になりたいから「その靴可愛いね!って友達に言ったら、すごく笑顔になったよ!」などということもある。

小学一年生から、既に周りからの「いいね」の承認欲求を、日々気にしてるんだなぁと感じる。

自分が子供の時も、女の子同士で可愛い物を見せ合う習慣はあった。
さらに今は、親が100円ショップなどですぐに買えるから、余計にその可愛い物合戦が、ヒートアップしているように思う。

それで、今回の件を娘にはまだわからないかもしれないけど、こんな風に伝えた。


持っている物を褒められるのは嬉しいと思うし、「いいね」って褒められたい気持ちもすごくわかる。
でも、それは物に対しての「いいね」なんだよと。

自分の物を褒められると、いい気分がするけど、それはその物が「いいね」というだけで、その人のことを褒めているわけじゃない。

その人の優しさや、素敵さや、賢さとか、その人自身を褒められる方が難しいけれど、すごいことなんだよ。

物は、新しい物を常に持って行っていかないと、褒めてはもらえない。
物を褒めているからこそ、人は初めて見た日にしか褒めない。

でもその人自身が褒められるときは、その人が良いことをしたり、何かを努力したり、人の役に立った時だから、それは自分次第で何度も褒められるかもしれないし、自分のことを褒められるのは嬉しいよね?

そんなことを伝えた。
最後の方は、私の伝え方が悪く、よくわかっていない感じだったが(笑)

すると、娘がこう言った。
「この前、Aちゃんの図工で作ったやつを、すごいねって言ったら、私の作ったものもすごいって言われて嬉しかったんだ」

その話を聞いて改めて思った。
人の行動や、人が作ったものを褒めると、褒められた人は、もっと頑張ろうと思える。
良い事を褒められると良い事をしたくなるし、周りも真似ができる。

そしてその時の言葉は「ありがとう」だったりもする。
褒められたら嬉しいから、相手の良いところも褒めたくて探す。

これは良い気持ちが広がる「いいね」だ。

一方、物を褒めても、持っていない自分は羨ましくなる。
次々と自分の物を褒められているうちは、満足だけど、また褒められるためには、物が必要になる。
物に際限はないし、その人は周りから見れば羨ましい人なだけである。

物の「いいね」は購買意欲を促進するが、気持ちは「いいね」よりも「ずるいな」という思いが広がる。

子供と話をしていて、当たり前のことだけど、改めて考えるとわかっているつもりでも、心の動きは読み解かないとその本当の気持ちは理解できないと思った。

これからも羨ましがられたい子供の心と、本当に嬉しい「いいね」をたくさんもらえるように、親子で考えたいと思う。

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