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『ヨーロッパ全史』用語解説 第2章:ローマの支配

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『ヨーロッパ全史』 – 2020/4/25
サイモン・ジェンキンス (著), 森夏樹 (翻訳)

の各章に出てくる用語を解説しているページです。

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第2章 ローマの支配

「共和制の誕生」

【ロムルス】
生没年BC771年-BC717年。ローマ建国神話に登場するローマの建設者で、伝説上の王政ローマの初代国王です。後述のレムスと双子の兄弟。狼に育てられたという伝承があり、ローマの建国神話の最初として、「狼の乳を吸う双子を象った像」があり、ローマ建国のイメージとして残っています。
 
【レムス】
生没年BC771年-BC753年。上述ロムルスの双子の兄弟。ロムルスとともに建設する新都市をどこにするのか、そして名前を「ローマ(ロムルス由来)」にするのか「レモラ(レムス由来)」にするのか、また王様をどっちにするのかで対立し、この混乱の中でレムスは命を落としました。
 
【エトルリア】
BC8世紀からBC1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群で、古代ギリシアとは異なった独自の文化を持っていました。王政ローマ7人の王様のうち、最後の3人はこのエトルリア系でしたが、ローマ人によって追放されてしまい、その後ローマと長く対立関係、戦争をしますが最終的にはローマと同盟を結び、実質的な従属関係となります(日本とアメリカみたいな関係か)。高い建築技術をもっていて都市国家ローマの建設に活かされました。また、現代でもイタリアのトスカーナ州(「エトルリア人の土地」という意味、州都はフィレンツェ)やティレニア海(「エトルリア人の海」の意味、イタリア半島西側の海)などに名称が残っています。
 
【世襲の貴族(パトリキ)】
古代ローマにおける支配階級で、パトリキの語源は「パトレス=ラテン語で父たち」です。建国の父ロムルス王が元老院議員として100名を選出した際に彼らをパトレスと呼び、その子孫がパトリキと呼ばれる貴族層、支配階級となっていきました。
ローマの王政の廃止などで、パトリキが支配する元老院が動いたと考えられています。パトリキは建国以来の名門もあれば、のちにローマが領土を拡張していく中で別の地域の有力者などが取り込まれていくことでも増えていきました。
 
 【元老院】
王政ローマにおいては、王様に対する助言機関。その後王様を追放して共和制となったローマにおいては統治機関として大きな力を持ちました。ローマで皇帝が政治をとるようになる再び助言機関となります。ラテン語でSenatusといい、これがSenate(アメリカの上院など)の語源となりました。日本語では現代の政治機関については上院など他の言葉を当てるようにしているため気付きづらいのですが、実は、アメリカはローマの国家制度をかなり意識的に真似ています。
 
【執政官(コンスル)】
古代ギリシアのアルコンに相当する、共和政ローマにおける形式上の元首であり、リーダーです。共和政ローマにおける通常時の最高職で、定員は2名(独裁を防ぐため)。任期は1年でした。
たまに「凄い非常時だ!」というときには最長6か月任期の独裁官(ディクタトル)が選出されることがあります。でもとりあえずは執政官(コンスル)がローマのトップと思っておけばOKです。平時は政治をして、戦争時は軍団の最高指揮者として戦場で直接指揮をしました。
選出方法は元老院が候補者を選び(候補者資格を決定し)、ケントゥリア民会(兵員会とも訳される、軍事的な単位であるケントゥリアをベースに民意を問う会合、貴族も平民も両方参加していますが、軍事負担の重さ≒資産規模で投票権に差異がありました。すなわち貴族に有利な会合)で選出されました。
 
【平民(プレブス)】
古代ローマ社会における平民。定義は難しいですが、パトリキ(貴族)ではなく、奴隷でもない一般ピーポーのことですね。貴族は元老院議員になる資格とかがあったので、貴族と平民はよく対立していました。
 
【護民官】
上述の平民を守護するための役職、それが護民官です!と力強くご紹介しましたが、共和政ローマが支配領域を拡大していくと、貴族と平民の間の貧富の差が大きくなっていきます。貴族が政治も富も独占する状況にキレた平民はBC494年にモンテ・サクロ(聖なる山)に立てこもり、政治的発言権を強めてくれよ!と主張します。平民をなだめるために創設されたのが、この護民官という役職です。人数は2名で、平民のみが参加する平民会で選出されました。
護民官は、身体の不可侵権を有していて守られていました。さらに執政官(コンスル)や元老院の決定、決議を取り消す拒否権を持っていて非常に強い権限を持っていたのです。
 
【ファランクス】
これは戦争のときの手法というか陣形のことを指します。古代において重装歩兵が互いに密集して、集団として一丸として攻撃する手法のことを指します。

「第一次ポエニ戦争」

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