#0146【名戦略家の身の処し方(楽毅、史記の世界)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
史記の人物特集第二弾は、楽毅(がっき)という人物を取り上げます。
前回の管仲と同じく、三国志の諸葛孔明が尊敬する人物として挙げている人物です。
楽毅は、部類の戦略家、戦術家として知られています。
生まれは中国中央部だったと言われていますが、活躍の場は現在の北京周辺にあった燕(えん)という国です。
楽毅が燕に仕える前に、燕は一時期斉の属国となっていました。新しく君主となった人物の父は斉に殺害されており、何とか復讐を果たしたいと考えていました。
しかし、国力も低ければ人材も集まらない中、どうしたものかと思案をしていたら、郭隗(かくかい)という人物にこう言われます。
「君主よ、私を厚遇しなさい。」
訝しんだ君主に郭隗は語り続けます。
「私のようなものでも燕で好待遇を受けていると聴けば、私以上の人物たちがこぞって燕に来るようになります。」
合点がいった燕の君主は、彼を厚遇します。
「まず隗(かい)より始めよ」という格言として残っています。現在では、少し意味が変化してまず身近なことから手をつけようという意味ですが、できることからしっかりとやっていくことは、国造りであろうとも日々の仕事であろうとも共通することに思えます。
この燕の取り組みを知った楽毅は燕を訪れて、国造りに尽力することになりました。
強大な力を誇る斉は、傲慢な姿勢を見せており、周辺国から嫌われ始めていました。
しかし、強大な力の前に歯向かうことができない。そんな雰囲気を察知した楽毅は、「連合してあたりましょう」と周辺国を口説き、連合軍を作ります。
そして総司令官として斉を撃破していき、斉の首都を陥落させます。
その後、連合軍は途中で解散したものの、楽毅は斉を攻め続け、広大な領土のうち、二都市を残すのみとなりました。
この残された二都市の抵抗は激しく、楽毅はなかなか攻め落とすことができません。
そうこうするうちに自分を厚遇してくれていた燕の君主が亡くなってしまいました。後継者はストイックに国造りに励んでいた父とは違い、怠惰な性格でした。
この人物の生活がだらしないと楽毅は何度か苦言を呈していたため、怨まれていました。
この点に目をつけた斉は、フェイクニュースを流します。
「楽毅が二都市を陥落させないのは、わざとだ。自分が斉の君主になることを画策しているからだ。」
燕の新君主はすっかりこれを信じて、楽毅を総司令官から更迭します。
楽毅は自分が燕に戻って粛清にあうようなことがあれば、それは自分を厚遇してくれた前君主の恥(進退を見極められないような男を厚遇したのか)となるため、亡命しました。
楽毅がいなくなった燕軍はあっという間に斉軍に撃退され、斉は二都市から全都市を奪還することに成功しました。
楽毅は、亡命先においても厚遇を受けますが燕に対する恩義を忘れず燕に対して敵対的な行動を取ることなく、その生涯を終えました。
以上、本日の歴史小話でした!
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