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#0157【異端児をどう評価するのか(織田信長②、天下人)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は、日本の戦国の三英傑を再度取り上げたいと思います。

一年前に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を一度ご紹介していますが、一年ぶりに再度違った側面から紹介します。

<2017年に取り上げた際の小話>
#0007 【織田信長】https://goo.gl/KfhbrH

前回の日本の暴君でも少し触れましたが、織田信長は自分に歯向かう勢力に対して容赦なく接しました。

比叡山を焼き討ちした際には非戦闘員を含めて殺戮しており、長島一向一揆を攻めた際にも女・子どもも容赦なく虐殺を命じ実行させています。

また、自分に歯向かった戦国大名である浅井長政・久政、朝倉義景のしゃれこうべを薄濃(はくだみ)にして新年の酒席で披露したことなども信長に対するイメージを悪くしていることと思います。

昨年取り上げたように信長には心優しい面もあり、だからこそ裏切られた際の反動が大きいようにも思えます。

普段優しい人ほど、怒らせたら怖い。

その典型のようにも感じます。信長の人生後半はずっと怒りっぱなしの状態にもみえますが、甘い物好きだったため虫歯による痛みが原因だったというような説もあります。

織田信長という人物は、アンチも含めて多くの人たちの手によって研究・創作が続けられており、日本史において非常に有名な人物ですが、江戸時代には評価が高くありませんでした。

理由は、自分の家を死後、豊臣秀吉に乗っ取られてしまったからです。

江戸時代は、自分の家をしっかりと守り、次の世代に適切にバトンタッチしていくことが第一の目的とされていた時代です。

下手に優秀な人物よりも、自分に逆らわない、前例踏襲型の官僚型人材がもてはやされた時代です。

信長のような実力主義での人材登用は、自分の家を滅ぼす元になりかねないということで、江戸時代においてはモデルケースとなりえなかったのです。

信長の再評価が高まったのは、江戸時代後期の幕末においてです。黒船来航などの動乱期が訪れ、時代の閉塞感を打破していく必要性の中で、信長の生き方や人材登用の方針にスポットライトがあたりました。

歴史上の人物は常に評価にさらされており、時代や価値観によって判断が覆ることがあります。

これからも新資料の発見や、様々な角度からの研究によって違った一面が出てくるかもしれませんね。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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