#02 稲作が争いを呼び込んだ?社会変動の弥生時代
このエピソードで学ぶこと
稲作を始めた弥生時代のニッポン。
稲作が始まったことによって日本の歴史は
縄文時代と比較してどう変わったのか。文字はどうなったのか。
弥生時代の日本について学びましょう。
本編(0分51秒)
・派手な模様の縄文土器と比較して、弥生土器はスッキリしたイメージ
・縄文時代と弥生時代の最大の違いは、稲作
・稲作が導入されていく中で、人の交流や技術の交流が加速していった
・そして、稲作が始まったことによって富の蓄積が可能となり、その富を奪い合う争い、戦争も加速していってしまった
・防ぐために、集落にも環濠集落という形となり、遺跡からは戦死者と思われる遺体が出てくる
・先進的な中国との関わりを深めていき、日本に印鑑に彫られた状態での文字が発掘された
・日本の統合については次の時代に持ち越し
今回のおさらい(10分44秒)
Q1:弥生時代で起きたイノベーションは?
→弥生土器、稲作・金属などの技術を大陸から導入していった
Q2:弥生時代の吉野ケ里遺跡の特徴は?
→争いから集落を守るため、お濠で囲まれた環濠集落があった。首のない白骨とかも発掘されていた。
Q3:日本社会はどうなっていったの?
→争いが絶えない中、社会がムラ・クニと大きくなっていった。
Q4:弥生時代の日本では文字はどう使われていたの?
→中国からもらった印鑑に記されていたりしたけど、記録を残すためにはまだ使われていなかった。
次回予告(11分32秒)
弥生時代に入ると、考古学的な発掘以外に
中国の歴史書などの文献にも
徐々に古代日本の姿が描かれるようになってきました。
縄文時代よりも豊かになった弥生時代の日本。
しかし肥大化した社会の常か、争いも絶えなくなってしまいました。
この争いはどうやって鎮められていくのでしょうか。
次回は古墳を作りまくる古墳時代のニッポンへと繋がっていきます。
次のエピソード⇒#03_大きいことはいいことだ!古墳から解き明かす大和朝廷
前のエピソード⇒#01_縄文時代の日本にピラミッドが作られなかった理由
↓↓↓ラジレキ メインチャンネルの関連エピソード↓↓↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?